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真面目においしく生きるなら

 このあいだ喫茶店でデザートを食べていて、ふと「人間、食べるために生きてるよな」と思った。おいしい一皿、口の中に味わう幸福な一瞬のために生きてる、そう言っても過言じゃないと思った。
 
 デザートがそれくらいおいしかったとも言える。マロンクリームの乗ったコーヒーゼリーと、シナモンのかかった焼きリンゴ。旬の味覚は、肌寒さの増す外の景色とあいまってより一層おいしくなる。
 
 古代ギリシャの哲学者が「食べるために生きるな、生きるために食べよ」と言ったとか言わないとか聞くけど、食べるために生きてなにが悪いんだろうな。おいしい食事の取れない人生なんて、ほかの何があったって空しいだけだ。
 
 だれかに「あなたはなんのために生きるのか」と訊かれて「おいしく食べるため」と答えたら、きっと失笑されるだろう。生きる目的は、たいていの場合、もっと崇高で気高いものだと思われているから。
 
 だけどどうだろう。なにごとも突き詰めると深いのが世の常であって、これも本気で追求したら「おいしく食べる」程度のことでも、それほど簡単じゃないと気づきそうだ。
 
 まず、きちんと味わうためには味覚が正常でないといけない。風邪をひいていて鼻が利かない、なんてあってはならない。「熱が高くて食べるどころじゃない」なんてのもナシだ。つまり、なによりもまず健康でいないといけない。
 
 それから素材を味わうためには、自分の歯で食べる必要がある。入れ歯や金歯になってしまうと、料理の楽しみが半減すると言う。人工的に入れた歯では、材料の繊細なおいしさや柔らかさ、みずみずしさが伝わってこないのだそうだ。
 
 だとしたら、死ぬまできれいな歯を保てたほうがいい。そのためには日々の歯磨きもそうだし、ときどきは歯医者でクリーニングしてもらったほうがいい。
 
 「泥酔していて料理の味がわからない」なんてのもいただけない。「酒は呑んでも呑まれるな」であり、食事を味わおうと思ったら、過度なアルコールは控えることになる。酔っぱらってたら、いま何を食べているかすら怪しくなるもんね。
 
 そうして適度な労働も必要だと思う。ここは意見の分かれるところかもしれないが、仕事終わりのビールに生き甲斐をみいだす人たちを見てほしい。彼らは言う。「この一杯のために生きてる!」
 労働がなかったら、ビールは単に苦いだけの液体なんじゃないか。飲まない自分にはそう見える。もっとも、過度な労働は食事の時間も楽しむ体力も削り取るので、適切とは言えない。大事なのは適度であること。
 
 こうして列挙していくと、おいしい食事とともに生きるには健康と適度な労働が一番ということになる。生き方としては悪くない。生涯にわたって食を楽しもうと想ったら、それなりの準備と覚悟が要るのだ。
 
 若いころの不摂生がたたり、年配になってから苦労する人はたくさんいる。父親はその典型で、20~30代のころ、とにかくカロリーの高い夕食を食べ、それからすぐに寝付く生活をしていた。40代から健康に気をつけようと思っていた矢先、糖尿病を宣告された。
 
 カロリーオーバーとなる食事はご法度なので、目の前の料理をどれだけ食べたくてもストップをかけないといけない。これはなかなかに辛い。ちょっといいレストランに行っても、最後のデザートは諦めるときもある。
 
 できることなら、何歳になってもデザートまで食べられる暮らしがいい。そのためだったら、日ごろの生活に気をつけるくらいなんでもない。甘いものを控えたり、食べてから寝るまでの時間を空けたり。
 
 適度に働いて、食事の時間が削られるほどは働かない。口の中を清潔に保ち、風邪に気をつけ、運動し、健康な体を維持する。全部おいしく生きるために必要なこと。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。