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よくも悪くもガッツがあるとは

私としてはいつだって、信心深いお人好しより手練手管の悪党を歓迎するね。いつもルールを守ってプレーするとは限らんかもしれんが、とにかくガッツはある。そしてガッツがある人間がいるかぎり、世の中まだ望みはあるのさ。 

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』柴田元幸訳、新潮社、令和2年、77-78頁。


 ガッツ、やる気、気合。なんて呼んでもいい。世界に対する野望、ハングリー精神。正直それに恵まれさえすれば、人生なんとかなるような気がする。
 
 やる気や気合っていうのは、人に言われて湧いてくるものじゃない。どうしても生来の気質や偶然の出来事に左右される。そういう情熱に恵まれた人はいいけど、恵まれない人間はどうすればいいんだろうな。ガッツのある人を見ると、いつもそう思う。
 
 上の文章の原文はこうだ。読んでもらうとわかるけど「ガッツ」という英単語はどこにも出てこない。
 

Give me a wily rascal over a pious sap any day of the week.
(いつだって、信心深い間抜けよりも狡猾なならず者のほうがマシさ)
He might not always by the rules, but he’s got spirit.
(そいつはいつもルールに従うわけじゃないだろうが、スピリットは持ってる)
And when you find a man with spirit, there’s still some hope for the world.
(そしてスピリットのある奴が見つかるってことは、世界にまだいくばくかの望みがあるってことだ)

Paul Auster, "THE BROOKLYN FOLLIES", faber and faber, 2011, p.54.  ※()内の訳は筆者による


 スピリット。日本語で「ガッツ」とされているそれは、「気骨」と訳されることもある。他にも活気、霊魂、精神、などなど広い意味があり、翻訳も大変だったろうなーとぼんやり思う。訳者は柴田元幸先生、ポール・オースターの翻訳は、だいたいこの方によるもの。
 
 元気のある悪党というのは確かにいて、最近観測した中ではこんな人がいた。悪党的ガッツのある女性。夜の仕事をしたあと若さと美貌を武器に医者と結婚し、結婚後は夫に罵詈雑言を浴びせ多額のお小遣いを得て、離婚を持ち出されたあたりでDVをでっち上げた。
 
 文章で書くと端的にひどい。ひどいのだけど、正義感からなにかを言う前に「なんてパワフルなんだ」と感じてしまう自分がいる。なんて元気なんだ。なんでお金のために、好きでもない人と結婚して、わかりやすく財産だけ狙うことができるんだ……。
 
 自分としては「旦那さん側の無罪が証明されるといいですね」としか言えない。それにしても、彼女たちの嗅覚っていうのはなんなんだろう。言うことをおとなしく聞いてくれそうな人を捕まえ、本当に思い通りにしてしまう。こんなのはパワーがないとできない。
 
 そういう人間を歓迎するか?と言われたら、普通に身近にはいてほしくない。のだけれど、それはそれとしてどこかには、そういう元気な人もいるだろう。自分にそれだけのガッツがあれば、もう少し人生が変わっていたかもしれない、なんて思う。
 
 他人を利用してのし上がってやるんだ、というパワー。ふんだくれるだけふんだくってトンヅラする面の皮の厚さ。それだけあれば、世の中わたっていくのにあまり苦労はしないんじゃないか。
 
 自分はそこまでパワフルじゃないので、そもそもガッツある悪党にもなれないだろう。幸いなのは「なる必要もない」というところだ。堅実な昼の仕事にありつけて、好きな人と結婚もできた。よかったですね、なんのドラマもない。
 
 仮に自分が、売り物にできるだけの美貌とハングリー精神に恵まれていたら、どうなっていたんだろう?なんて考えてみても「もうそれは自分じゃない」で話が終わってしまう。
 
私としてはいつだって、信心深いお人好しより手練手管の悪党を歓迎するね。いつもルールを守ってプレーするとは限らんかもしれんが、とにかくガッツはある。そしてガッツがある人間がいるかぎり、世の中まだ望みはあるのさ。
 
 自分で関わりたいとは思わないけど、そういう元気のある人はいてほしいな。どこかに、わたしの手の届かない場所に。

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