亡くなった人を愛すること

兄は18歳で亡くなった。自殺だった。

私は当時10代で、人の弔い方なんてまるで知らなかった。親しい誰かの死をどうやって受け止めて、何をすればいいのか、何ひとつわからずに、ただ「大好きな兄だった」とだけ考えていた。

あれから軽く10年の月日が流れている。


時を経て変わったことは、それが「今でも大好きな兄」になったことだ。過去に生きた人を語るときには過去形を使うものだと信じていたのが、必ずしもそうである必要はないように思えてきた。

亡くなった人を愛している──と書くと、それはひどくグロテスクな行為に見える。普通、人は生死の境まで越えて愛したり憎んだりしない。それは異常者のやることだ──

世間一般の人はそう言うかもしれない。
死んだ人間は葬って忘れろ、前に進み生きた人間を愛するようになるんだ、それが一番だと。

でも、私にそれはできなかった。
なんていうか、相手がいなくなったことで、愛を注げる人が一人消えたと思っていたけど、そんなことはなくて、私は今でも兄を愛し続けていいのだと、10年経ってやっと気づいたのだ。

亡くなったからと言って、愛すべき相手が消えるわけじゃない。私は今でも兄を愛しているし、愛することができる。
そういう死との向き合い方も、あってもいいのだと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。