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「対話って大事なんです」

 同じ学者の本を連続して読んでいる。内容は整っているけれど、まったく同じ文章が何冊にもわたって出てくる。同じデータを扱い、表現を一切変えないで一語一句そのまま。こうも繰り返されるとだんだん倦んでくる。
 
 それなりに影響を受けた著者だったから、なんだか悲しい。繰り返し使っているデータ以外に似たような例を見つけられなかったのか。いや探せばあるはずだ。それなのに、どこの本でもすべて同一のケースを例に挙げてくる。誰も指摘する人がいない。
 
 どこかで研究への意欲が死んだのだろうか。なんでこんな「むかしやった研究だけで食いつないでます」みたいな文を読まされなきゃならないんだろう。本の中には、いまや信頼性があやういと言われる実験まで引き合いに出され、次第に読むのが辛くなっていった。
 
 著者にも自覚はあるのか、「常識に反することを言っているから、丁寧な反論のため、どの書籍でも似たような内容を書く。ご了承ねがいたい」と断りがあった。
 確かに、伝えたいことは一度言ったくらいじゃ伝わらない。確実に伝えるためには、繰り返す必要もあるかもしれない。
 
 でも「手を変え品を変え同じことを言う」ならまだしも、手も品も変えず伝えることに、なにか意味があるのだろうか……。装丁もタイトルも違う本なのに、それぞれの中身の違いが見出せなくなって、すべて手放した。
 
 ずっと前に大学の授業で、先生が30人ほどの学生を前に言ったことがある。

「対話ってとても大事なんです。ぼくはこうやって皆さんと対話し、考えを交わしているから気づかされることがたくさんあるんですよ。皆さんのおかげなんです。
 研究者の中にはね、ずっとこもって研究して人を教えない人もいるんですが、そういう人に限ってしょっぱい入門書とか出したりするんですよ。」
 
 しょっぱい入門書、ってなんだろう。言い古されたことを素人向けに書いた、しょうもない本って意味だろうか。とにかく先生は、誰かと話す中で日々あたらしい刺激を受けることを、良しとしていた。
 
 世の中には「ひとりでひっそりこもって考えるほうが、人と話すより性に合う」って人もいるのかもしれない。いるかもしれないけど、その数は少ない。人間、たった一人で黙々と延々と考えることに、なかなか耐えられない生き物だと思う。
 
 哲学者として永遠にその名を刻むソクラテスも、対話を重視した。会話の中で生まれてくる知が知だった。ソクラテスは、相手が未熟でも若くても年老いていても地位があったりなかったりしても、お構いなく道端で議論した。
 
 人と話し対話することは、知にとって不可欠なのかもしれない。それは考えの違う他人を前にして、相手を尊重し、その意見を互いに吟味していくことだけど、考えが凝り固まるとこれができなくなる。そういう人もいる。見たことがある。
 
 マスコミに持ち上げられて、もう対話の場に出てこない教授が業界にいた。自分の意見に反論されそうな場所を拒否し、意見を肯定してくれそうなところ、権威が利く場所へ流れていく。自分がお世話になった先生たちはそれを見て、残念だねと言っていた。
 
 彼が書いた初期の論文は、本当にクレバーだったんですけどね、いまは……。ご本人だっておっしゃってたはずなんですよ。「この調子で持ち上げられたら僕は高慢になってダメになってしまう」って……。
 
 その言葉を聞く頃には、件の教授はツイッターで馬鹿にされる存在になりさがっていた。本を買って読んだこともある人だから悲しかったけど、それ以上に、優秀な学者がひとり消えたのが切なかった。才能って、育てないと本当につぶれちゃうんだな。
 
 寂しい気持ちを反面教師に、誰かとの対話を恐れずに生きていきたい金曜。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。