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偶然から生まれる読書

 納豆パックに「旨みだしたれ」が入っている。何回見ても、気合の入った呼びかけとしか思えない。「旨み出したれ!」
 
 日曜日なので図書館に行って本を借りてきた。予約した本を取りに行くと予約本だけがまとめられたコーナーがあって、各々がそこから取っていく形になる。これのおもしろいところは、他人が予約した本が見られるところだ。
 
 今回借りたのも、前に予約棚で見て「おもしろそうなの借りてる人がいるなあ、わたしも予約いれとこ」と思ったものが多い。『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』『ウォンバットのうんちはなぜ、四角いのか?』も、自分の前に借りた誰かのおかげでタイトルを知った。

https://www.satoumi-shima.jp/2019/08/blog-post_39.html

ウォンバット。カピバラみたいと思いつつ読んでいたら、作者いわく「惜しい!いや惜しくない!」。つまりはぜんぜん別の生きものなのだ。オーストラリアの動物だけあって(?)コアラやカンガルーと同じ有袋類なのだとか。

 それから『いい子に育てると犯罪者になります』。これは前に記事で書いた『反省させると犯罪者になります』と同じ著者で、家庭の問題と犯罪とを結びつけて語っている。自分の育った家庭もいろいろあったので、あまり他人事と思えないところもあってヒヤっとするなど。
 
 例えばこんな男子学生の話が出てくる。「僕は(…)幸せな家庭で育ったと思っています」と言いながら、仮病で不登校になったり、友達の物を盗んだりしてきた過去がある。特に虐待やネグレクトを受けたわけではないから問題ない、と本人は言っている。こういうケースは「危うい」らしい。
 
 なにが危ういんだろう。離婚とか別居とかあったならともかく、それらしき単語は書かれていない。虐待なども特になかった。よくない点があるとしたら盗みをしているところだけど、大事には至っていない。悪いことではあれど、行ないを改めようと思えばむずかしくない地点だ。非行にどっぷりハマっているのとは訳が違う。
 
 プロの視点から見ると、しかしこれは危ういらしい。どうして仮病を使うのか、そしてなぜ物を盗むのか。どちらも「人にバレない」という共通点がある。親に「学校を休みたい」と言うのではなく、病気を装うという手を使ったこと。また友達の物を「ちょうだい」とダメもとで言ってみるでもなく、ただ盗んでいること。
 
 これは放置すると、最悪の場合もっとエスカレートするのだそうだ。店の物に手を出したり、空き巣狙いにまで発展するかもしれない。著者がこれを言うのは、実際にそういった過程を経て犯罪者となる人がいるからだった。
 

 ……本当に幸せな家庭で育ってる人って、わざわざそうは言わないんだよな。「虐待もネグレクトもありませんでした」とアピールするのは、それ以外の問題はあったと言っているようなもので。自分もこの手の人間だった。
 

 問題ない家庭で育ちました、わたしは幸せだったと思っています。蹴られたり殴られたりしなかったし、大学の学費まで出してもらったし。両親が離婚したり兄弟が自殺したりしたけど、暴力もネグレクトもなかったんですから……。
 

 いまならこんなことは言わない。問題のある家族だった。そうして友達から「どうしてメルシーちゃん家は、兄弟と一緒に住んでないの?」とか「お父さんと暮らせなくてさびしくない?」と言われるとき、どうやら自分の家はまともじゃないと悟るのが嫌だった。子どもは「悪い意味で普通じゃない」と言われたときの空気を、敏感に感じ取る。
 
 作者によれば、本当は幸せじゃなかったとわかることは、わからないで生きるより遥かにマシらしい。簡単に言えば犯罪者になる可能性が減る。幸いいまだ警察の世話にはなっていないので、この調子で生きていきたい。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。