考えをアップデートする〈恋と愛〉

恋は落ちるもの、愛は育むもの|メルシーベビー|note(ノート)https://note.mu/mercibaby/n/nb04efd5b9dc9

このノートを書いたときから、少し考え方が変化したので、そのことを書いてみる。
きっかけはこちらの一文。

恋は性に支えられていたが、同時に性を超えようとするものでもあった。

谷川俊太郎『ひとり暮らし』

読んだとき「そうだ、性の側面から考えてみる必要がある」と思った。なんたって性欲は、人の本能なわけで無視できない。自分は年頃(結婚・出産適齢期)になって、周りにいる異性が唐突に魅力的に見え始めるという体験をしたから、ホルモンのバランスひとつで始まる恋もある、というのは理解できる。

昔の同級生に「性欲が絡むと純愛じゃない、っていう考え方はおかしい」「好きな人を抱きたい・抱かれたいと思うのは何もおかしくない」と言った人がいたけど、彼女は同意してくれるだろうか。少なくとも彼女は、性欲で人を好きになることを「動機が不純」とは言わないんだろうな。

世の中で「純愛」と持て囃されるものは「病気の彼女を命懸けで救う」とか「余命少ない相手に尽くす」とか、まるで性愛を無視している。確かにそういうプラトニックな気持ちは美しい。ただ、そればかりが純粋な恋だと言われれば、違和感を覚える。

恋は性に支えられていて、性を超えたものが愛である……のだろうか?谷川俊太郎は、そこまでは書いてくれていない。恋を超えたあと結局、かの詩人はどんな結論に行き着いたのだろうか。私ももう少し、考えてみないと。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。