未来の三大権利
「未来」がどれくらい先かわからないけれど、必要になりそうな権利。
忘れられる権利
「デジタルタトゥーから逃れる権利」でもいい。意図せずして自分の名前が世に広まってしまったときに保障される。
大学の同期に、かつて芸能界にいた女の子がいる。ジュニアアイドルだった。グラビアアイドルの子ども版。小学校低学年の頃から、大人を相手に自分の水着姿を売っていた人だった。名前を仮にアミとしておく。
当時は本名で芸能活動をしていたアミは、10代後半になってから芸名を変える。理由は簡単で、ジュニアアイドルだった自分と結びつけられたくないからだ。本当ならネット上にある映像も画像もぜんぶ消したい、でもできない。一度広まってしまったものはどうにもならないのだ。
ある程度のレベルまでなら削除要請ができても、第三者が画像を持っていて、これを拡散させるのは止められない。アミに限らず、むかしの恥ずかしい写真や映像をネットから消したい人は多いんじゃないか。
たとえば物心ついたときには親がユーチューバーで、勝手に自分の生活を撮影され、全国に流されていたら?親から見ると可愛いだけの映像も、子どもからしたら見られたくないかもしれない。だけどこれを、後から子どもが削除したいと思っても難しい。
個人による発信が珍しくない今、こういう権利はもっと注目されていい。将来的には、いまの削除要請より厳格な形で運用されているだろう。
死ぬ権利
安楽死(尊厳死)の権利。
祖母が亡くなったときにこれを考えた。死期が迫った時にはもう自分の力でトイレにも行けず、食事も拒否していた祖母。点滴で全身をグルグル巻きにされ、チューブをはずそうとしては叔母に叱られていた。
そこまでして生かしておくってなんなんだろう。おばあちゃんは早く自然死したいように見えたし、この感覚がまちがっていたとは思えない。本人の同意さえあれば、延命治療を拒否して安らかに死ぬ権利があっていいはずだ。
長生きできるのは素晴らしい、素晴らしいけれど、嫌がる人に押し付けるようなものじゃない。本人が「もういい」と言うなら、私は尊重したいと思う。とても悲しいけれど、ボロボロになってベッドに縛り付けられているのはもっと悲しいから。
高齢化社会の問題は「死ねない」「死なせてくれない」こと。自分の意志で、他人の手を煩わせずに死んでいきたいという願いを叶えられるのも、人権のうちじゃないか。尊厳を保ったまま生を終えられる。なにも悪いことじゃない。
不健康でいる権利
「健康にいい」という理由で、何かを強制されない権利。「健康に悪いから」という理由で、何かを剥奪されもしない。不健康でいる自由を保障するもの。
たとえば喫煙者にたいして、世間は年々厳しくなっている。税金は高くなって、吸える場所は限られ、パッケージには「肺ガンになりますよ」の文字が踊る。規制の厳しさがゆるむとは考えにくい。将来的にはもっと取り締まりが激しくなるだろう。
煙草でなくても、健康に悪いものは不人気だ。不人気なだけならいいけど「体に悪いからやめなさい、提供する業者は罰します」なんてことになれば、これはよろしくない。同じ理屈でなんでも規制できてしまう。
精神衛生上わるいのでゲームは売ってはいけません、お酒もダメです、予防接種は全員強制です……。どれもこれも国家に口を出されるようなことじゃない。メリットとデメリットを天秤にかけて選択すればいい。
自由権ってそういうことだ。体に悪いとわかっていてもやるとか、いいとわかっていてもやらないとか、どちらも選ぶ権利がある。いつの間にか「健康で体にいいことしか存在しない世の中になってました」ってなるのが怖い。
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。