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哲学ノート③ヴォルテール『寛容論』

最近よく言われる「寛容さ」って、結局なんなんだろう。他者を受け入れること、あるいは悪い言動への厳罰化を避けること、いろいろ考え付くけれど、まずはヴォルテールのこの本を読みたい。『寛容論』

ヴォルテールは、世界史でその名前を見た人も多いだろう。フランスの思想家で、1694年パリ生まれ。バスティーユに投獄されたあとイギリスに亡命し、1778年に没。18世紀のヨーロッパ思想に大きな影響を与えた人だった。

「フランス人」と言うと、「気取っていて自国中心主義、絶対に謝らない人たち」をイメージする人が一定数いるが、ヴォルテールはそうではない。狂信者を批判し、他地域に生きる人々に学び、理性と知性を尊重する姿勢を貫いた。

この哲学者は手放しで称賛できると思っていて、当時のヨーロッパで「キリスト教の狂信は悪だ」と言える胆力と知性は、並大抵のものではない。また、彼はアジアのこともよく見ていた。例えば中国についての記述。

中国の歴代の皇帝のうち、もっとも賢明で、もっとも寛大な皇帝は、おそらく雍正帝であろう。その雍正帝がイエズス会士を追放したのは、たしかに事実である。しかし、それは雍正帝が不寛容だったからではない。その反対に、イエズス会士が不寛容だったからである。

かれら自身が『イエズス会士中国書簡集』のなかで証言している。この賢明な皇帝がかれらに向かってこう言ったというのである。
「おまえたちの宗教が不寛容な宗教であることを私は知っている。おまえたちがマニラや日本でしてきたこと、それも私は知っている。おまえたちは私の父[康熙帝]を欺いたが、この私まで欺けると思うな」

(…)

とにかく皇帝は、イエズス会士やドミニコ会士。カプチン会士その他、世界の果てからこの国に遣わされてきた司祭たちが互いに口汚く言い争っているという、その事実を知れば十分だった。司祭たちは真理を説くために来たのに、互いに相手を呪ってばかりいた。したがって、皇帝はただ外国から騒ぎを持ち込んだ連中を送り返したに過ぎない。(※1)

その中国も今は不寛容の極みにあるけれど、ここでは触れない。ヴォルテールは、東洋がいまよりも遠かった時代に、ここまでのことを知りかつ書き下ろしているわけで、こういうところにフランス啓蒙思想のしなやかな強さを感じる。

他人の信仰を許さない人、「お前たちも俺と同じ神を敬え、そうでなければ殺してやる」という狂信者を、ヴォルテールは強く批判した。それは不寛容だ。まともな信仰心ではないし、理性のなすべきことでもない。彼は、ローマの元老院とローマ市民の大原則を引用して書く。

「神々への侮辱を憂慮するのは神々自身にまかせるべし」(※2)

うん。自分の信じる神様が侮辱されたら不快極まりないだろうけど、でもその心配は神様に任せておくべきだ。

(続)

※1、ヴォルテール『寛容論』斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2016、49-50頁
※2、同上、71頁

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。