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フェミニスト、世代間ギャップ

「女に優しい男のことだろ?フェミニスト」
父とそんな会話になり、世代間ギャップを感じる。
「私の場合、女性の権利のために活動してる女の人って感じだけどね」
「ならだいぶ認識が違うな。俺の場合は、あくまで主体が男で、それが女性に優しくするってイメージを持ってたがね、いままで」
あくまで主体が男……。確かに、親と子のあいだにはかなり認識の差があるみたいだった。

自分にとって「フェミニズム」はいつも女性の顔をしている。女性の労働環境改善を訴える人、容貌の美しさで値踏みされるのを拒む人、男性中心社会の解体を目指す人、誰も彼も女の人だ。

父にとっては(話を聞く限り)男性の顔をしている。女性は優しくする必要のある存在であり、守られるべきであり、例えば「女性専用車両」の存在を擁護する。痴漢の加害者はおおむね男性なのだから、女の人が保護される空間があってしかるべきだ。そういう理屈。

高校の頃の先生(当時20代、男性)は「女性専用車両って男への差別じゃない?なんで女だけ専用空間があんの?」と言っていた。このへんは意見が分かれるところらしい。大学の教授(60代)は「なんで女性ばかりと思わなくもないですが、なら男性専用車両があったとしてそれに乗るか、って言うと……ねえ……」と言葉を濁していた。

話を戻すと、上の世代になるほど「フェミニストは女性に優しいor甘い男性」のイメージを持っている人が多い印象がある。あくまで体感だから正確な数値は出せないけれど、若い世代になるほど「フェミニズムは女性のもの」を共通認識として会話している。「主体は男性」と言い切る若い人はまず見ない。

念のため「フェミニスト」で辞書を引いたところ、どの国語辞典にも「俗に、女性に甘い男」「女性を大切に扱う男性」と書いてあった。どうやら父親の理解のほうが、辞書の語義としては合っていたらしい。ただ手元の版は最新でも2016年のものなので、いまではちょっと違うのかもしれない。

気になるのは旺文社の『現代カタカナ語辞典』(2015年)の表記だ。「男女同権主義者。女権拡張主義者」と書いたあとに「日本では女性に甘い男性。婦人を大切にする男の意」。つまりこれは、日本独特の意味合いなのだそうだ。

ならば英語の辞書にはこの意味はないはずだろう、とジーニアスを引くと、確かにそう注意書きがある。「feminist(…)日本語の「フェミニスト」は「女に優しい男」の意でも使われるが、英語にこの意はない」。

ちなみにドイツ語(アクセス独和辞典)はシンプルに「女性解放論者、女権拡張論者」で終わっている。フランス語(ロワイヤル仏和中辞典)は「①女権拡張論の」としてあるが、次の意味がこれだ。「②《稀》女好きな」。女好きな男性という意味なのか、女好きな女性なのか、性別は問わないのだろうか。そのへんの説明は特になかった。

同じ言葉でも国によって理解が違い、世代によって理解が違い、さらに言うと辞書によっても微妙に定義が異なる。国語辞典の「フェミニスト」は「(女性に)甘い」「優しい」「大切にする」の表記の揺れが見られたけれど、これらはぜんぶ意味合いが違う。そして自分の思う定義からは、どれもかけ離れている。辞書の中の「フェミニスト」は、おもに主体が男性なのだった。

辞書を作る人の年齢が若くなるに従って、この語義は変わってくる可能性がある。現に二人の20代男性が「化粧しない女の人って過激派フェミニストかなって思う」「女の人が発狂しているイメージ」とコメントしていて、たぶん二人は特例ではない。

父は「なんでそんなこと聞いてくるんだ?俺はラーメン食うぞ」と言って電話を切ってしまったので、まだこの話は伝えていない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。