#こんな社会だったいいな ~「監視されない生活」編~

個人情報の扱いが選べる社会になっていったらいいな、と思う。今のオンラインサービスは、個人を追跡し過ぎているし、そう感じているのは私だけではない。

いま使っている検索サービスにダック・ダック・ゴー(DuckDuckGo)というのがあるのだが、彼らは自分たちのサービスについてこんなことを書いている。

個人情報保護をシンプルに。
DuckDuckGoは、インターネットが「薄気味悪い」ものであってはならないと信じています。ユーザーがオンライン上でプライバシーを守ることは、部屋のブラインドを閉めるのと同じぐらい簡単であるべきだと。

部屋のブラインドを閉めるのと同じくらい──というのは、日本的に言えば「襖や障子を閉めるくらい」といったところだろうか。文章に癖はあるが、言っていることはシンプルだ。つまり「私たちは、あなたの個人情報を保護します」ということ。

通常の検索エンジンは、財務や医療、政治などに関するユーザーの個人情報を追跡するようになっています。しかし、ユーザーが検索する内容は他人には関係のないことです。ですから、DuckDuckGo検索は決してユーザーを追跡しません。

DDGは、履歴を消そうと思えば完璧に消去できるし、パスワードを保存するかどうかも訊かれない。だから、個人情報の扱いに敏感な人にとってはよいサービスだろう。ただ表記はほとんど英語なので、そこがハードルになる人はいるかもしれない。

一応、書いておくと検索窓の隣に炎のマークがあるので、そこをタップするとすべてのタブとデータの履歴が消える。これだけ覚えておけば、別に英語がわからなくても困らないと思う。そのへんのことは、日本語で公式サイトにも書いてあるので、気になる方は以下からどうぞ。

「個人の追跡を嫌がる」風潮はリアルにもあると思っていて、例えば、街に増えていく監視カメラに不気味さを感じている人もいる。「犯罪が行われないか監視するため」「何かあったときに記録を残すため」という大義名分はあるにしろ、個人が見張られていることに変わりはない。

だから、どんな形になるかはわからないけど、リアルな空間でも「私たちはあなたを監視しません」と、それを売りにする場所が出てくるかもしれない。もしくは監視されることに疲弊した人が、秘境の地のように人目のないところに移住する動きが起こるかもしれない。

いずれにせよ、リアルでもネット上でも現代社会の「個人が見張られ過ぎ問題」はどこかで誰もが感じていることだろう。それがどんな形であれ緩和されていく(あるいは監視/非監視を選択できる)社会になったらいいと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。