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言葉を使う

犬のイラストが可愛い本を読んでる。カレル・チャペック『ダーシェンカ』は、飼い犬との日常を綴った、絵日記のような一冊。

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「ダーシェンカ」は犬の名前で、チェコ語の表記は「Dášenka」になる。英語に慣れた人にとっては、この「á」や「š」の「文字の上になんかついてる」のは見慣れないかもしれない。ヨーロッパ言語には結構こういうのがある。ドイツ語なら「schön(美しい)」「süß(可愛らしい)」に使われる2つの点とか、フランス語だと「apparaître(現れる)」なんかの上向き矢印のようなマークとか。

ひょっとして、昔の英語にもそういうのがあったのだろうか。もとはイギリスの言語であるこの言葉は、かの国の世界制覇に従って大きく姿を変えた。例えば「you」という二人称も、もともとは丁寧な表現で、親しい相手には「thou」と言う。それが、いつしか相手との距離感を測るのが面倒になったのか、言葉が節約され削ぎ落とされて「you」だけになったらしい。ドイツ語の先生がむかし教えてくれた。

英国の世界制覇っぷりは世界史に残る成果だったが、その影で言語はより簡単に使いやすくなり、いきおい語彙も減った。それに比べると、ヨーロッパ諸国はそこまで極端な変容はない。チェコ語もその部類である。親しい相手に使う二人称「ty(君)」と敬称の「vy(あなた)」の区別を残している。

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こちらは本の表紙。ダーシェンカの写真と、カレル・チャペックによるイラストの数々。

同時並行で、多和田葉子『エクソフォニー』を読む。この作家は、ドイツ語と日本語の両方で創作する、複数言語の使い手だ。

わたしはバイリンガルで育ったわけではないが、頭の中にある二つの言語が互いに邪魔しあって、何もしないでいると、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。(…)その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。

使える言語が複数あるのが良いとは限らない。どれも中途半端になってしまう可能性が高いからだ。日本で「バイリンガル」「トリリンガル」は、何かしら特殊な能力と思われがちだけど、そういった明白な欠点も持つ。多和田葉子はそれをよく知っていて、だからどちらも耕さなければならない、と言う。

自分の身内には、とにかく子どもに英語を身に着けさせるべく、幼稚園は英語だけで教育するところに入れた人がいる。とはいえ子どもなので、卒園したあと使う機会がなければ、言葉なんてすぐに忘れる。それで英語力を維持するのにまたお金をかけるのだと言っていた。子どもも苦労が多い。

かつての同級生は「イギリスに行けば物乞いでも英語を話すよ。あと日本語で聞いてわからないことを英語で聞いてもわからないからね。言葉だけできてもしょうがない」と言っていた。「もしも仕事で英語を使うんなら、まず仕事ができる人間になったほうがいいね」と。

だから「バイリンガル」「トリリンガル」に夢を見過ぎないほうがいい。それは魔法の杖ではないから。そしてどんな言語であれ、もっとペラペラ話せる人はたくさんいる。だからもし言語を学ぶなら「その言語で何をしたいのか」を一緒に考えたほうがいい。もし英語で仕事をしたいなら、仕事の能力も同時に磨かないといけないだろう。あるいは哲学で使うのなら、哲学用語をまず日本語で覚えておかなきゃならない。

ダーシェンカは、カレル・チャペックの話すチェコ語をよく理解したのだろうか。かわいい犬のイラストを見ながら、そんなことを考えている。

引用:多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』岩波書店、2003年、44頁。

https://honto.jp/netstore/pd-book_25369914.html


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