とても暑くって、明日は七夕
暑い。秋田にいる母が打ち水を始めたので、これは日本列島、どこもきっとすっかり夏なんだろう。建設現場ではずいぶん前から「水分補給しろ」「休憩を取れ」「猛暑日は作業するな」が連呼されている。
一番いいのは、そもそも暑いところに行かないこと。仕事でもないなら、家や屋内にこもっているほうがいい。もちろん、エアコンはつけたままで。
最近、母から届いたハガキには「半夏生(はんげしょう)です」と書かれていた。ハンゲショウとは梅雨が明ける時期で、この頃までに田植えを終えるとよい。終わったら田んぼの神さまにお供えものをする。
母のハガキは、だから「田の神さまには麦団子をお供え」と続いていた。別にうちは農家ではないのだけど、家の小さな畑で家庭菜園に励む母にとって、こうした季節のイベントは一種の楽しみでもある。
家の庭や畑は、もともと祖父母のものだった。土いじりを愛した祖母はよく
「おうちに庭がない人が、つまらないからってわざわざお外に出るのよ」
と言っていた。
雑草を引っこ抜き、隙あらばフンをしようとする近所の猫を追い出し、土を耕し、キュウリやナスやキャベツを育て、冬には大根を植え、雪かきに追われる。モンシロチョウはキャベツに卵を産み付けていき、やがてそれが幼虫になりサナギになりまた蝶になる。
外に出なくたって、庭があれば楽しい。それが祖母の主張であり、この見解をもっときれいにしたのがターシャ・テューダーだと言える。美しい庭、自給自足と手づくりの思想で有名なターシャは、よくテレビでも取り上げられていた。
そうして祖母は、ターシャを見ると「なんだ、庭ババアか」と言い、わたしが「じゃあおばあちゃんは何ババアなの」と聞くと、「わたし?わたしはクソババア。がっはっはっ」と笑っていた。その祖母も、九十余歳で死んだ。
庭ババアになれたらいい。いま住んでいる団地は、せいぜいベランダから近くの公園を見下ろすくらいで、庭を持つことは望めない。特別、土が好きでもないのでそれでいいのだけど、歳を取ったら庭や畑が恋しくなるかもな……。
小さい頃は、キュウリやナスの収穫に付き合わされるたび「めんどい」と感じていたけど、いま思えばあれは贅沢な経験だった。
自分は、生まれた子どもにそこまでの体験をさせてあげられるだろうか。せめて、季節の行事はちゃんとやっていきたいな……。
3月に生まれた子どもはつい先日、お食い初めを終えた。お食い初めと言っても、正式に器を揃えてやったのではなく、お寿司やメロンを食べるフリをした、ってだけなのだけど。
伝統にのっとってやる場合、家紋を入れた漆のお膳を使い、ご飯、汁物、魚を用意するらしい。お寿司には、魚とご飯が入ってるからいいか。器は普段使いのもので済ませたが、うーん、こうやって伝統は変形していってしまうのね。
伝統行事を、そのまま受け継いでいくのはすごく難しい。時代に合っていないといえばそれまでだけど、昔から続いているものが、現代社会に完全フィットしているほうがめずらしい。だから伝統っていうのは、気合で継いでいくタイプの風習だと思う。
自分に「昔のお食い初めを完全再現するぜ」のガッツはなかった。水は低きに流れ、人は易きに流れる。
半夏生が終わると今度は七夕が来る。七夕はがんばろう。何を頑張るんだかわからないけど、とりあえず短冊を書いて吊るす。そういえば学生時代、女子寮に住んでいた頃は、七夕にちらし寿司が出た。
明日の食卓をどうするか、だけど。実は結婚生活が始まって一年になるので、お祝いがてらノンアルコール・シャンパンを頼んである。妻の産後に家事を担ってくれた旦那さんへの、ありがとうのメッセージ入り。