これからの時代の「褒めること」

人を褒めることのクリエイティビティが必要な時代だと感じる。

人間の本能として、1番大事なのは生き残ること。そのため大事なのは、生存を脅かす欠点を早く見つけて潰していくことだった。これは生存戦略として間違ってない。ここまではいい。

ただ問題は、それが文明化社会でも通用するのかどうか、ということ。もちろん、ビジネスでも欠点を潰していくことは必要だし、コンサルティングなんかでは、まず問題点を指摘して、そこを変えていく提案をする。

でも、それってこれからの時代、最優先事項にはならないだろう。そうじゃなくて、いまあるその人の長所に、いかに気づいて伸ばしていくか。そっちのほうが大切な時期にさしかかっている。

人を褒めるって、実際、相手をよく見て理解していないとできないことだ。何も知らない初対面の状態で、その人の能力や性格を褒めることは不可能なわけで、常日頃、一緒にいたり相手をよく観察したりした結果として「あなたのここが素晴らしいですね」と言える。

これってけっこうすごいことじゃないだろうか。まず、他人に興味を持っていないとできないことだし、さらに好意的な気持ちで見ていないと、観察の結果は褒め言葉にはならない。

例えば「物静かだけど、理詰めで最後まで考えるのが得意」という他人に性質に対して、クリエイティブな人は「最後まできっちり詰めるところがあなたの才能」と言えるだろうけれど、褒める気のない人なら「根暗でネチネチしてしつこい」とかいうアウトプットになることだろう。

人は、前述の理由で「欠点=生存を脅かすものを排除しよう」とするから、つい「きっちり詰める」という長所を「しつこくてヤな感じ」と捉えて、言われた人は落ち込むかもしれない。

だけど、文明化社会で、欠点が生存を直に脅かす(それを改善しないと即、死に至る)ということはないのだから、長所にフォーカスする戦略を取っていくほうが正しいんじゃないか……と思う。

多少の欠点はあっても死なない。私たちは幸い、そういう社会に生きているのだから、もっと長所に焦点を当てていくほうが、これからの時代には合っている。

ネガティブなことを言える人の方が賢く見えたり、欠点をあげつらう人が強く見えてしまったりするのは、人間本能のせいもあるから仕方ない。だけど、私たちは理性的に考えることだってできるはずだ。

人の長所を見つけられることはクリエイティブなことだ。それは欠点を指摘するより、はるかに高い知性とコミュニケーション能力が要求される。そういう見方が、もっと広まっていけばいいな、と思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。