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権力はそうやって振るう

 仕事をしていて、ふと大学の授業を思い出した。授業のテーマは「権力」だった。
 
 権力とは、わかりやすく暴力を振るうことばかりを言うのではない。もっと広い意味では「相手の選択肢を奪う」「そうすることで相手を支配する」形を指す。
 
 今日は先輩から「『明日までにこの書類をください』って、協力会社に電話をかけて」と言われたのだった。
 
 言われるまま社用のスマホで電話をかける。担当者に取り次いでもらえたはいいものの、相手は用件を聞いて困惑している。「明日まで、ですか」。保留にしたタイミングで先輩に「むずかしそうですけど」と言うと、先輩は周りの人と目くばせしながら「なるはやでもらえれば」と譲歩した。
 
 相手の担当者は「なるべく明日までにしますけど今週いっぱい余裕見てもらえれば」と言ってくれた。お礼を述べて電話を切る。任されたことは一旦、区切りがついた。と思った。
 
 ひととおり事態を見ていたらしい上司に「担当者の名前は?」「男?」と聞かれる。そうです伊藤さんです、と答えると上司は「ん」と了承し、それから太い声で続けた。
 
「あ、で『今週中』ってことでおとなしく引き下がったんだ?」
 
 瞬時に「できるだけ明日までに、っておしゃってました」と答えると、上司はああそうと納得し、俺からも連絡しとくわとスマホを手に取った。
 
 おとなしく引き下がってはいけなかったらしい。上司の口から出たのはただの疑問であり質問であって、責める意図なんてない……と考えることもできるけど、どうにもそうは聞こえないのだった。もうちょっと交渉しなきゃいけなかったか。
 
 上司からすれば「相手にも都合があるからと引いていてはいけない、こっちの仕事に合わせてもらうくらいでないと」と思っているのかもしれない。実際、その後の上司の交渉もあって、なんと書類は今日中にメールで送付されてきた。うわあ。
 
 権力というのは、わかりやすく「ああしろ、こうしろ」と言うことではない。相手の選択肢をひとつひとつ断っていくのも、ひとつの権力のあり方だ。「おとしなく引き下がったんだね」と言うことで、暗に「その対応はよくなかった、次からその線はない」と伝えられるみたいに。
 
 大学の授業でこの「選択肢を断つ」という権力のあり方について、教授はこんなことを言った。

「えげつない話ですけど、でも聞きますよね、こういう力の振るい方。たとえば」

と一旦、言葉を区切り、声色を変えて

「『メルシーさん何をすればいいかわかってますね、あなたにもご家族がいらっしゃるでしょう?……』とかね、そういうのを言うわけです」。
 
 確かに「お子さん、可愛い盛りでしょうね」みたいなものは、それ自体はなんでもない文章なのだけど、言われた状況によっては脅しになる。あなたの家族の身元を押さえてるよ、言うこと聞かないとどうなるかわかるよね、という匂わせ。「権力」とは、こうして相手をコントロールすることも指す。なにも政府機関や巨大な組織だけが振るう力じゃない。
 
 たとえば母親が子どもに「なにをしてもいいよ、でも○○ちゃんにこんなことされたら、お母さんは悲しいなあ……」と嘆いて見せるのも。実のところ「なにをしてもいい」なんてことは全然なくて、親の機嫌を取ることを要求されている。これも権力。
 
 それにしてもnoteで初めて太字を使ったかもしれない。派手に叱られたわけではないし、怒鳴り声や罵倒があったわけでもないけれど、地味に今日のハイライト。

「あ、で『今週中』ってことでおとなしく引き下がったんだ?」
 
 「おとなしく引き下がる」っていう選択肢、この質問を前に断たれるもんな。やっぱ権力だわ……と、授業を思い返しつつ仕事する水曜日。一週間の折り返し地点。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。