#こんな社会だったらいいな ~お葬式編~

「死んだらお骨を海に撒いてほしいと思ったんだけど、そういう手続きってすごくめんどくさいらしくてねえ……」
と知人の女性がごちていたことがある。その時は聞き流したけれど、これからのお葬式の在り方を考えるとき、いつも彼女のこの発言を思い出す。

人を葬るやり方は、民族や地域によって様々だ。土葬や火葬を始め、鳥葬(死者の肉を鳥に食べさせる)や海洋葬(海に散骨する)、あるいは亡骸を食べるという人たちもいて、人類の弔い方は本当にバラエティに富んでいる。

人はいつか皆死ぬのだから、当分の間、死ぬつもりのない自分にも、これについて考え発言する権利はあると思う。

葬式に関して言えば、いまそれらの儀式はよりコンパクトな方向に向かっている。家族葬のように身内だけで済ませる人も多く、あまり大勢の人を呼ぶのは時代にそぐわないらしい。身内だけでひっそりと死を悼みたいという、その気持ちは想像できる。

葬式の選択肢は、徐々にではあるが増えてきているのだ。大々的にしたい人も、簡素にしたい人も、その願いを叶えやすくなってきている。

それにしても、この調子で簡素化が進んでいったら、最終的にお葬式はどうなるのだろう?

VR(ヴァーチャルリアリティ)が発展していくことを思えば、お葬式はひょっとしたら、ネット上の仮想空間で行われるものになるかもしれない。みんなでVRゴーグルを着けて、世界中どこにいたとしても、その時間はオンライン上でお葬式に参加する、とか。

これに関しては、自分の場合リアルでもバーチャルでも構わない。残された人たちが、実際にその場で顔を会わせたいということであれば、自分のお葬式がそのきっかけになってほしいし、逆に、参列者に式場まで来てもらうのは手間だ、と式を行う人が判断したなら、オンラインでやってくれていい、と思う。

もっとも、お葬式にはいろいろお作法やマナー、慣習やしきたりがあるから、一朝一夕には変わらないだろう。

ただ、冒頭の知人女性の願いは叶えやすい世の中になっている。海洋葬の手続きは、彼女の言うように煩雑で面倒なものではあるが、それを一手に引き受ける業者が出て来ているので、望めば海に還れる時代なのだ。

だから、葬られ方を選択できる世の中にはなっていくだろうし、そうなってほしいと思う。自分や身内の死を、本人の意志とは異なるやり方で悼みたくない、という人がいるなら、その気持ちは尊重される社会であってほしい。

「こんな社会だったらいいな」のひとつは、だから、葬られ方を選べる社会だ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。