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ぜんぜん正しくない地図が教えてくれること

 誰でも何かしら「こうだと思い込んでいること」がないだろうか。普通、自分の思い込みには気づけない。目に見えないし、指摘されることもないとわからない。試しにそれを目に見えるようにすると、いかに自分が何も知らなかったか気づく。
 
 例えば、なにも見ないで世界地図を描いたらどうなるだろう?
 
 まず日本はいい。これは描ける。隣が韓国、そのすぐ北が北朝鮮、その隣が中国で、北には大きくロシア。それからユーラシアの真ん中あたりにインドがあって……。このあたりから、だんだん怪しくなってくる。
 
 中東は国名を知っていても位置関係をえがけず、ヨーロッパも自信がない。西欧はいいとして、東欧になるとほとんどお手上げ。北欧のどのへんがフィンランドで、どのへんがスウェーデンかもいまいちわかってない。アフリカも大陸の中のほうがほぼ描けない。
 
 なぜこんなことをしているかと言うと、ひと昔前のネットの流行を再現してみようと思い立ったからだ。記憶だけを頼りに地図を描く「バカ日本地図」「バカ世界地図」という試みが、10年以上前に流行ったらしい。
 
 試しに検索をかけてみたら、それぞれに異なった「バカ世界地図」が出てきた。アフリカ大陸が「アフリカ」というひとつの国みたいになってるものや、ユーラシア大陸の大半が空白のもの、なぜか「アマゾン」が国名になっているもの。
 
 そして描いた人の思い込みによる「これはここの国にあるだろう」「この生き物が住んでるのはこのへんだろう」というイラストまで描かれて、想像の中の地図が完成する。少し前のネット空間ではそんなことが行なわれていたらしい。
 
 いま読んでいる本の中では、これらの世界地図がこう書かれている。

 (…)「バカ世界地図」ではピサの斜塔がスペインの位置に移動したフランスにあったり、チベットがヒマラヤの上に置かれていたり、アイスランドは完全に凍っていたりする。わけても傑作なのは「北極は寒いが、南極は暑いはず」という誰しも子供の頃に思っていたかもしれない説が採用され、ペンギンが北極大陸(!?)に移動し、南極大陸には南の島風のヤシの樹が描かれる。北極大陸でいちいち驚いてはいられない。インド洋にはアトランティス・ムー大陸が当たり前のように浮かんでいる。

佐々木睦『漢字の魔力 漢字の国のアリス』講談社選書メチエ、2012年、120頁。

 ピサの斜塔はイタリアだね……と思うけど、確かに小さい頃、南のほうは暖かいと漠然と信じていた。だから本当は地球が丸くて、北と南がしぼんでいて、どちらも寒いのだと知ったときは変な感じだった。
 やっぱりみんな「南は暑いやろ」と思っていたのか……仲間がいた。
 
 地図としての信頼度はないに等しいけど、これはとても面白い遊び。多くの人が正確に描ける場所は、みんなの関心が高い地域で、逆もまた然り。普段は見られない他人の頭の中を見えるようにした点でも、普通の地図より学びが多い。
 
 世界の人が描く日本はどうなってるんだろう。人によっては、中国の隣くらいに思ってそうだ。あるいは太平洋の真ん中とか。地図として一切ただしくはないが、「こんな風に思われてるんだな~」と知るにはいい機会になりそう。
 
 世界はひとつだけだけど、ひとりひとり違う世界地図が頭の中にある。近いものは正確に描けて、遠いところは曖昧になる。きっとみんなそうだ。ひとりひとりの目に写る世界は、きっと球体に風景が写るときと同じようになっている。
 
 自分の顔がすごく大きくゆがんで写って、それから背景が写っていて、遠くのものはほとんど見えなくなっている、あんな感じ。みんなきっとああいう風に世界を見ている。
 自分が中心にいて、それから外側の人や物があり、遠くのことはまず意識にのぼらない。それぞれに歪んだ地図を持って世の中を歩いている。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。