何も「当たり前」ではなくて

馴染みの喫茶店が次々閉店していくので、行きたいところには行っておくべきだと痛感している。どこもそれなりに気に入っていたけれど「お店は逃げないし、いつでも行ける」くらいの気持ちでいたので、閉店してしまえば永遠に行けないんだという当たり前の事実が痛い。行きたいところには飽きるくらい通えばいい、いつかなくなるから。会いたい人には早く会いに行ったほうがいい、いつか彼らはいなくなるから。そんなことを考えている。

もちろん、高級なところはハードルが高いとか、あの人に会うには心の準備ができてない……とか色々あるかもしれないけど、彼らはいつまでもそこにいてくれるわけじゃない。怖くてもハードルが高くても、経験できることはできるうちにしておいたほうがいい。誰だって「今」が一番若くて、年齢を重ねたらやる気も体力も若い頃とは違ってくる。失敗したり辛い思いをしたりするにしても、落ち込む体力のあるうちのほうが立ち直りも早くて済む。だから、やれるうちにやっておく。

いまあるサービスは、運営する人がいなくなれば消滅するし、世界は言うほど安定していなくて、守らなければ消えてしまうようなものばかりだ。使っている言葉、サービス、あるいは当たり前のように呼吸している綺麗な空気、そのどれもが「いま現時点では守られているもの」に過ぎない。いまあるものを維持していく、という仕事は、地味で目立たないけれどとても大切なことで、そういう仕事にきちんと感謝できる自分でありたいと思う。

昨日は、出かけた先で街角の消火器の点検をしている人たちを見かけた。屈強な男性三人で、きちんと消火栓から水が出るかどうかをバケツを使って確認し、針金で何かを補強していった。自分は暑いので日傘を差して歩いていたが、彼らは当然、そんなものは持っていなくて、体一つで作業していた。出過ぎたことだろうが、きちんと水分を補給してくれていることを祈る。ああいう人たちの仕事が街を下支えしているわけで、そういう意味では街を守るヒーローだから。

仕事っていうのは、それを通じて誰かのヒーローになるようなものなのかもしれない。閉店した喫茶店から、そんなことを考えている。もちろん綺麗事ばかりではないだろうが、綺麗事を言う人間がいなかったら、世の中は殺伐とした現実主義に染まってしまう。そんなのは嫌だ。だから私は、街を守る人たちをヒーローだと言い続けるし、何かを維持することはそれだけで大切なことだと何度でも書く。

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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。