食品模型に見る日本
自分にとって当たり前の光景も、他人にとっては興味の的だったりする。日本では普通に見ているものも、国外から見ると好奇の的になることがある。例えば食品模型。
食品模型、日本にいれば誰もが一度は目にしているだろう。レストランや喫茶店や食堂のガラス戸の内にあり、本物そっくりに作られているパスタやハンバーグ。もちろん食べられない。中にはスパゲッティの麺をクルクル巻きつけたフォークが空中に浮いているのもある。
多くの人はそれを、本物を想定するために見ている。食事の量や見た目をそこで確認して、「このパフェさくらんぼが入ってておいしそう」とか「全体の量はこれくらいね」とか判断する。ところが、外国から来てみるとそれはポップアートの一種に等しい。デザイン界隈では、昔から海外勢の注目を浴びていた。
70年代に書かれたデザイナーのエッセイに、こんな描写が出てくる。
イタリアからやってきたF氏と、日曜の午後の遅い昼飯を食っていたら、突然、彼は「ワックス・フード」はどうしたら手に入るのか、ぜひそれを土産に持って帰りたいと言いだした。(…)
F氏に限らず、近年、東京にやってくる欧米の知人・友人たちは、どうもこの日本の食品ポップアートに特別関心が深いようだ。(…)
今にもコップから溢れそうなビールの白い泡、切ったばかりに見える艶々としたまぐろの刺身。スパゲッティがフォークにからまって持ちあがったまま、突っ立ったユーモラスなもの、冷し中華、カツ丼、クリームソーダ、いずれも見れば見るほど不思議で面白くて愉快だ。
スパゲッティを巻きつけて浮いてるフォークのことは、みんな気になってたんだな……と余計な感想を挟みたくなる。言われてみれば、たかだか食品サンプルをあそこまで精巧に作り上げる国は日本以外にないのか、いやそもそも海外にそんなものないのか。いままで当たり前に見ていた光景は、世界的に見てずいぶん異質で楽しいものらしいと悟る。
技術や細工のエスカレート、その庶民的発想や探求心に満ちた工芸性、いかにも日本文化を象徴するような一面をこの食費が持っているようだ。電気製品をはじめとする日本のインダストリアル・デザインや、グラフィック、建築などのデザインにも同質のことが感じとられるためである。
平たく言うと、日本のデザイン文化はマニアックな庶民のために独特の発展を遂げている、ということだろうか。細かいところによく気が付く国民性と、日用品にもそれなりの品質を求める気質とが相まって、デザインの世界を動かしている。
こんなエッセイを書くデザイナーは誰なのか、気になった人もいるかもしれない。彼は田中一光、「無印良品」初期のデザイナーだ。立役者と言ってもいい。このブランドの方向性を決定づけ、企業を軌道に乗せた。深澤直人や原研哉といった、現代日本を代表するデザイナーたちが無印良品を引き継ぐのは、このあとだ。
無印良品を手放しに持ち上げる気はない。質の高い商品ばかりではないし、近頃ここで何も買ってないのに、おだてあげるのも変な話だ。最近ではウイグル人の強制労働問題で名前が挙がり、SNSでは「無印は、二度とエシカルなんて言うな」「金輪際、買わない」との声も上がる。
ただ、その企業理念とデザイン性の高さが常に一目置かれているブランドでもある。シンプルで主張しない、生活に馴染み、使い勝手がいいことを狙うモノづくりは「庶民的で高品質」な工芸文化と直に繋がっている。ただ、その企業理念とデザイン性の高さが常に一目置かれているブランドでもあり、有名デザイナーを輩出した実力は純粋にすごい。
いま日本の日用品の力を感じるのは文房具だろうか……。uniの「ジェットストリーム」の黒ボールペンを10年以上、愛用している。インクは最後まで使い切れるし、書き心地は軽く滑らか、芯を交換するときに内臓のネジがどこかに飛ばないよう細かい配慮が成されて、身近な芸術だ。
引用:田中一光『デザインの周辺』pp.93-94.
本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。