「本当のお金持ち」について

「本当の金持ちっていうのは、メンテナンスに金がかけられるんだよ」と父が言う。そうかもしれない。

この間、靴を修理してもらいに靴屋に行った。店では靴職人が年配のご夫婦と
「いい靴ですね、何年はいておられます?」
「もう何十年も」
「まだ履けますよ、いい靴です、これ」
という会話を交わしていた。ご夫婦は、御年80と言ったところだろうか。あの歳で何十年ものの靴を持っている人は、若い頃にそれだけの物を買える環境にいたってことだ。元から裕福な家庭なのか、それとも若い頃に思い切って高い買い物をしたのか……とアレコレ邪推しつつ、自分の靴を修理に出してきた。こちらは二年はいているが、何十年も持つかどうか。

物はどうしたって劣化するので、維持するために2つの条件が必要になる。
ひとつは、そもそもの作りがいいこと。例えばすぐに毛玉になるような服は、どんなにメンテンスを頑張っても長くは着られない。素材がいいものであればあるほど、持ちもいい。
2つ目が、修理や維持のための手間暇とお金。服なら、定期的にクリーニングに出したり、取れたボタンを付け替えたり、虫に食われないように保存に気をつけたり。そういうメンテンスのための労力と時間、そしてお金。

上の2つはどちらも「買って使って捨てる」という生活スタイルの人には関係のない話だ。お金持ちでもそういう人はいるので、父が冒頭の台詞で言った「本当のお金持ち」は、どちらかというと「文化的な生活を送る人たち」のことであって、単純に年収が多いってことではなさそうだ。

稼ぎに余裕がなくても、日用品のクオリティは決して譲らず、メンテンスも欠かさない人はいる。彼らにはそれなりの美学があるのだろう。そういう人の生活に触れると、その張り詰めたような雰囲気に怯えることがある。なにか「私はどんなに落ちぶれたって、ここの一線は守るのよ!」という悲壮な誇りを感じるのだ。

私だったら、暮らし向きが苦しくなったら「早くダメになってしまうかもしれないけど、ここは安い物を買っておこう」とか「社会的な評判はよくない会社だけど、価格が低いからここから買ってしまおう」とか思うかもしれない……。

でも、お金持ちの中にも「お金はひたすら貯めるもの。高額な買い物はしない。安いことは正義」「物は物。質は問わない。ペンは書ければいいし、鞄は物が入ればいい」という人もいるから、暮らし向きの良し悪しはあまり関係ないとも言える。要はお金の使い方は、その人が持つ美学の問題。

「本当のお金持ち」って、お金のことだけを言っているわけじゃない、不思議な表現だ。今日はそんなことを考えた。

この記事が参加している募集

お金について考える

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。