#こんな社会になったらいいな ~「話を聞いて」編~

「人の話を聴く」「人に話を聴いてもらう」ということが、もっと当たり前の世の中になればいい。水道や電気を使うのと同じくらい当たり前に「ちょっと弱っているから話を聞いてほしい」「客観的なアドバイスが欲しい」「愚痴を吐き出したい」というときに、気軽に使えるシステム。

それは水商売のように店を構えるのでもなく、精神科医のように予約が必要なのでもなく、ちょっと電話をかければ誰かに繋がるような、それくらいの気安さがいい。それを仮に「傾聴のインフラ」とでも名付けておこうか。

社会には、口に出して言うほどでもない些細な不快感とか、SNSで言うようなことじゃないけど吐き出したいこととか、あるいは「とにかく今すぐ話を聞いてほしい。誰でもいいから」という状況とかが、思った以上にたくさんあると感じている。

普通に生きている人は、生活の中でそれを紛らわせていくのだろうけれど、そういう「水に流す」作業が下手な人もまた確かにいる。彼らを、医療機関やカウンセラーにかかる前に救うことができたらいい。

(「救う」という表現は間違っているかもしれない。それなら「その場でその感情にケリをつけるため」「心に刺さった小さなトゲをその場で引き抜き、引き摺らないため」でもいい)

もちろん、今でも無料の電話相談をやっているところはある。「いのちの電話」「よりそいホットライン」などがそうだ。でも、多くの場合、かけてもすぐには繋がらない。下手すると百回以上(誇張ではない)かけて、やっと回線がつながることもある。

ないよりはいいけれど、このスピードだと使いものにならないだろう。中には「こういうところには、本当に苦しくなったら電話しよう」と思っている人もいるかもしれないが、残念ながら「ただいま回線が混み合っております」と門前払いを喰らうほうが多い。

だから、インフラのひとつのように──蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気が点くように──生活に溶け込む、少しの愚痴や不愉快をスッと吸収するようなシステムが欲しい。溜まりに溜まった不満が爆発するかのような犯罪や暴行を、防ぐ力にもなるだろう。

小さな不快を小さいところで止めておくことのメリットは、事故を未然に防ぐのと同じことだ。「ちょっと調子が悪い」「なんか不快」と感じている時点で手を打てば、回復も早いし、より悪い事態を回避できる。

もちろん、インフラとして装備される現実味は薄いけれど、「人に話す/傾聴する」という分野がいま以上に社会的なものとして発展してくれれば、毎日がほんのちょっと生きやすくなるだろう。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。