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【詩を紹介するマガジン】第9回、田村隆一

「立棺」

1

わたしの屍体に手を触れるな
おまえたちの手は
「死」に触れることができない
わたしの屍体は
群衆のなかにまじえて
雨にうたせよ

 われわれには手がない
 われわれには死に触れるべき手がない

わたしは都会の窓を知っている
わたしはあの誰もいない窓を知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは部屋にいたためしがない
結婚も仕事も
情熱も眠りも そして死でさえも
おまえたちの部屋から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ

 われわれには職がない
 われわれには死に触れるべき職がない

わたしは都会の雨を知っている
わたしはあの蝙蝠傘の群れを知っている
どの都市へ行ってみても
おまえたちは屋根の下にいたためしがない
価値も信仰も
革命も希望も また生でさえも
おまえたちの屋根の下から追い出されて
おまえたちのように失業者になるのだ

 われわれには職がない
 われわれには生に触れるべき職がない


2

わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地に休むことができない
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ

 地上にはわれわれの墓がない
 地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない

わたしは地上の死を知っている
わたしは地上の死の意味を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの死が墓にいれられたためしがない
河を流れて行く小娘の屍骸
射殺された小鳥の血 そして虐殺された多くの声が
おまえたちの地上から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

 地上にはわれわれの国がない
 地上にはわれわれの死に価いする国がない

わたしは地上の価値を知っている
わたしは地上の失われた価値を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの生が大いなるものに満たされたためしがない
未来の時まで刈りとられた麦
罠にかけられた獣たち またちいさな姉妹が
おまえたちの生から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ

 地上にはわれわれの国がない
 地上にはわれわれの生に価いする国がない


3

わたしの屍体を火で焼くな
おまえたちの死は
火で焼くことができない
わたしの屍体は
文明のなかに吊るして
腐らせよ

 われわれには火がない
 われわれには屍体を焼くべき火がない

わたしはおまえたちの文明を知っている
わたしは愛も死もないおまえたちの文明を知っている
どの家へ行ってみても
おまえたちは家族とともにいたためしがない
父の一滴の涙も
母の子を産む痛ましい歓びも そして心の問題さえも
おまえたちの家から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ

 われわれには愛がない
 われわれには病める者の愛だけしかない

わたしはおまえたちの病室を知っている
わたしはベッドからベッドヘつづくおまえたちの夢を知っている
どの病室へ行ってみても
おまえたちはほんとうに眠っていたためしがない
ベッドから垂れさがる手
大いなるものに見ひらかれた眼 また渇いた心が
おまえたちの病室から追い出されて
おまえたちのように病める者になるのだ

 われわれには毒がない
 われわれにはわれわれを癒すべき毒がない

『田村隆一詩集』思潮社、2010


 生きたまま死んでいるような人間は、死にも生にも触れることができない。棺が歩いているのと同じことだ。そんな風にも読める。「立棺」は、田村隆一の代表作になった。
 繰り返し繰り返される「われわれには~ない」の否定形が耳に残る。

 地上は、生にも死にも値しない。でも生きなくてはいけない。そして死ぬよりほかにない。立ったまま死んでいる人間の矜持、というのは変な言い方だけれど、とても切迫した、生の縁ぎりぎりを感じさせる詩。

 1923年に生まれ、1998年に死去。20世紀の戦争の時代を生きた人だ。詩にもその色が濃い。人間が理性を働かせた結果、平和を呼ぶどころかひどい殺し合いをすることになった、そんな時代が背景にある。

ぼくの歓びや悲しみは
もっと単純なものだ
  遠い国から来た人を殺すように
  べつに言葉がいるわけじゃない

「遠い国」

 詩はいつもぎりぎりしているけれど、この人の書くエッセイや紀行文は、堅苦しくなく軽やかだった。書かれた詩の中にも、その爽やかなリズム感をうかがわせる一節はたくさん見受けられる。

ああだれが世界と和解するものか
安手の倦怠と恍惚に
世界はすっかり癒着してしまったのさ

「雨の日の外科医のブルース」

 内容は現実をえぐるようで、なにもかもが重さを失った世界を切り出している。同時に、どこか歌っているみたいに聞こえる。言葉と音を切り離していない、体に刻まれたリズムとして詩を書く。

 ツェランは自身の作品に「フーガ」の名前をつけたが、田村隆一はブルースだった。同じ旋律を繰り返すロンド(回旋曲)のようにも聞こえる。いずれにせよ、音楽と相性がいい。

 語感が軽いだけに、内容の重さが沈み込む。田村隆一にはそういうところがある。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。