生きたまま死んでいるような人間は、死にも生にも触れることができない。棺が歩いているのと同じことだ。そんな風にも読める。「立棺」は、田村隆一の代表作になった。
繰り返し繰り返される「われわれには~ない」の否定形が耳に残る。
地上は、生にも死にも値しない。でも生きなくてはいけない。そして死ぬよりほかにない。立ったまま死んでいる人間の矜持、というのは変な言い方だけれど、とても切迫した、生の縁ぎりぎりを感じさせる詩。
1923年に生まれ、1998年に死去。20世紀の戦争の時代を生きた人だ。詩にもその色が濃い。人間が理性を働かせた結果、平和を呼ぶどころかひどい殺し合いをすることになった、そんな時代が背景にある。
詩はいつもぎりぎりしているけれど、この人の書くエッセイや紀行文は、堅苦しくなく軽やかだった。書かれた詩の中にも、その爽やかなリズム感をうかがわせる一節はたくさん見受けられる。
内容は現実をえぐるようで、なにもかもが重さを失った世界を切り出している。同時に、どこか歌っているみたいに聞こえる。言葉と音を切り離していない、体に刻まれたリズムとして詩を書く。
ツェランは自身の作品に「フーガ」の名前をつけたが、田村隆一はブルースだった。同じ旋律を繰り返すロンド(回旋曲)のようにも聞こえる。いずれにせよ、音楽と相性がいい。
語感が軽いだけに、内容の重さが沈み込む。田村隆一にはそういうところがある。