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読書感想文『神さまを待っている』

 機械仕掛けの神さま。そんな言葉がある。
 
 昔ギリシャで演劇がさかんだった頃、質の悪い脚本も当然、多く作られた。主人公が窮地におちいって展開に困ると、すべて神さまに解決させる。舞台の上では、滑車で吊られた神さまがスルスルと降ろされ、都合よく物事を解決すると、また引き上げられていく。
 
 デウス・エクス・マキナ(機械による神)。転じて「ご都合主義の展開」を指す。
 
 窮地においこまれたときには、誰だって神さまを求めてしまう。別に全知全能でなくていい。ただ今このとき、事態を解決してくれる誰か。
 
 今日読んだ『神さまを待っている』の中には、そういう神も出てくる。この本は、いまだけ装丁を二重にしているらしく、カバーの上にもう一枚かぶせられたスペシャルカバーにこう書かれていた。

「26歳 水越愛の身に 起きたこと。」
「文房具メーカー勤務。派遣社員。真面目。彼氏無し。」
「助けて」って、誰に言ったらいいですか?」
 
 内容は伏せるけれど、なんとなく内容はわかるんじゃないか。すごく雑に説明すると、普通の女性が貧困層に変わっていく過程を書いている。中には家出少女も登場し、帰る場所のない少女を泊めてくれる男性を待ち、期待して路上に立つ。こういう男性は少女たちのあいだで「神」と呼ばれる。
 
 都合のいい存在。今このときを、どうにかしてくれる誰か。そのためだけの神さま。
 
 主人公もまた、自分をいまの境遇から救い出してくれる「神」を求める。魔法の一撃、地獄から出るための蜘蛛の糸。機械仕掛けの神さまは、どこまで本物の神さまに似ているのだろう。
 
 
 人生に「神さまが欲しいなー」と思う気持ちはわかる。自分だって「朝起きたら、なにもかも全部よくなってないかな」と思って寝た夜がある。誰かや何かが、すべてきれいに解決してくれていたらいい。目覚めたら、悩みが消えているといい。
 
 「まず自分で努力したら」と言われても、その努力ができない。事態が自分の手に余る。どうしたいのか、何がしたいのかもよくわかっていなくて、ただひたすら苦しい場所から逃れたい。そうなれば、神さまを待つしかできることはない。たとえその神さまが、ハリボテの偽物で、自分を傷つける誰かだったとしても。
 
 そういうときってある。一番いいのは、そもそもこんな状況に陥らないことだ。神さまを待たなくて済めば一番いい。だからギリギリの状況になる「前に」自分を立て直さないといけない。
 
 まだ働けるうちに、そうでなくなったときのことを考えるとか。メンタルが弱ったら最初に誰に相談し、それにいくらかかるのか予想しておくとか。少しストレスがかかったときに、それ以上がんばらないでどこかで休むとか。「まだ大丈夫」と思えている間に手を打たないといけない。
 
 この本を読んで、つい住んでいる自治体の生活保護を調べてしまった。一ヶ月分の支給額を計算すると、なるほどひと月はギリギリ生きていけそうな金額が出てくる。もっとも申請がすぐに通るわけでもないだろうから、貯金が底を尽きてから申請したのでは遅いだろう。
 
 主人公がそうであったように(若干ネタバレになってしまうけど)、性を売る店に入ることも、ないとは言いきれない。生活に困った女性の多くが行き着くところだから。でもああいうところって、とりあえず見栄えがよく若い人が有利なのであって、逃げ込むのは難しい。
 
 調べた中には「ふだんから節約して、いざとなったときのお金を貯めておこう」みたいなのもあったけど、これは賛同できない。お金があるときには、あるときにできることをやっておいたほうがいい。でないとストレスが溜まって、どこかで散財したりする。
 
 「必要な娯楽」と「浪費」は何が違うのか、と言われても難しい。ただ、使ったあとに虚しくなってしまうようなお金の使い方は、やめておいたほうがいいと思う。
 
 そうして、まだ元気でいるうちにメンタルの健康に気をつけること。有休を取って好きなことをしたり、疲れ果てているなら回復するまで休んだり。そういうことができるうちにしておくこと。
 
 実は今日は完全に無意味なお休みを取った。久しぶりにむかし住んでた街に行って、よく通った喫茶店でパスタを食べた。かつて常連だったおばあちゃんが相変わらず来ている。そうしてちょっと服とか買って帰ってくれば、少しだけ何かが回復している。
 
 それで回復できるうちはいい。それで気分がよくなるうちに、こういうことはやっておかないといけない、なんて感じる一冊だった。『神さまを待っている』。


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