正解がないなりに

正解がなかったり、よくわからなかったり。そういうものを、単純化してわかろうとしないでそのまま受け止めるのは、いつも大事なことだと思っている。それは今みたいに、徐々に日常が戻ろうとしているとき、自粛と解禁のバランスをどう取るべきか、非常事態が開けたところでまだ警戒が必要なときにどう振舞うか、問われるときに顕著になる。

わからないものを少しでもわかろうとするには、解像度を上げて物事を見るしかない。細かいところまで注視すること。どこまでが安全で、どこからがグレーゾーンで、どこからが危険なのか。グレーゾーンにはとりあえず近寄らないことにするのか、それともリスクを取りながら取り入れるのか。そういうバランスを取りながら歩むのが大切で、「自粛開けたから全部一気に開放」も、逆に「何ひとつ手綱を緩めずに変わらない生活を送る」も、どちらも偏って見える。

人と対面で会うことは、自粛開けもしばらく厳しいかもしれない。とりわけ、一緒に食事を摂るとか設備を共有で使うとか、人と直接あるいは間接的にでも触れ合うことは「リスクあり」と見なされるだろう。帰省や旅行といった移動も、必要なとき以外は控えたほうが賢明だろう。

映画館や劇場は開くんだろうか。チケットを発行するための画面やお手洗いなんかの設備は、感染源と見なされて使えなくなるだろうか。確かに多くの人が行き来する場所ではあるけれど、人と喋る場面はそれほどない空間だし、換気をよくして手洗いを義務付け、マスク着用にすれば怖くはないと思うが。

本屋や図書館は通常通り開いてほしい。土日休みや営業時間短縮で対応しているところが多いが、こういった場所で感染が起きたという報告はないし、大規模な感染が起きるとも考えにくい。これらは普段通りの営業に戻っても構わないラインと考えているから、非常事態期間が過ぎれば前のように通う。

もちろん家から出なければ、リスクは限りなくゼロに近いが、それはやらないしできない。部屋にずっとこもる安全より、適度に外出することの危険性を引き受けたい。というより、今まで皆そうやって生きてきたはずだ。そのバランスが少し変わるに過ぎない。

正解も絶対もない以上、これが最適解だという落としどころは見つからないけど、それでも答えは出さなければならないから。そして考えないと答えも出ないから、とりあえず考えるための材料を淡々と集めている。正解はないにしても、大きく踏み外すことだけは回避したい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。