『#塚森裕太がログアウトしたら』

 『#塚森裕太がログアウトしたら』を読んでいる。なんとなくタイトルからして、人気者の男の子がSNSやめた、みたいな話かと思っていた。ぜんぜん違った。
 
 同性愛とカミングアウトをめぐる話で、高校が舞台で、登場人物は10代もしくは教師。男性しか好きになれないと公表した男子生徒のまわりで、みんながぐるぐる回る。もちろん本人も。
 
 出てくる女子生徒の中に、妙にリアリティのある子がいた。ゲイである「塚森先輩」が話題に上がっているのを見て、悪く言われているに違いないと判断し、すかさず擁護に入る女の子。クラスでそれなりに発言権があって、自分の意見は受け入れられると自信を持っている。現実味を感じるのは、自分も少しはこれを思ってたから。
 

「男の人が好きだからって、男の人相手なら誰でも興奮するわけじゃないでしょ。塚森先輩だってきっと何とも思ってないよ。勝手な想像して悪く言うの、すごく失礼だと思う」 

浅原ナオト『#塚森裕太がログアウトしたら』幻冬舎、2020年、29頁。


 ああ、これ、大学の同期も言ってた。当事者も、そうでない子も。
「同性愛者だって言うと『えー俺がそういう目で見られてたらどうしよう』って言うヤツが絶対いる」
「ああ、それムカつくよな、わかる。お前どこまで自分に自信あんの?って」
「そう。ゲイの美的感覚はレベル高いよ?って」
 自分はこの輪の中にいて笑っていた人間で、べつに反論する気にもなれなかった。実際そうだと思っていた。
 
 だけど、そのあとにこんな文章が綴られる。同じくゲイでありつつ公表していない男子生徒が、心の中で反論している。
 

 なんで?
 誰でも興奮するわけじゃないけど、誰にも興奮しないわけでもないよ?自分が対象かもって考えるの、自意識過剰ではあるけれど、そこまで変じゃなくない?(中略)失礼なのは、どうせ気持ち悪がってるって決めつけてる、お前じゃない?

同上、29-30頁。


 これが当事者の声なんだろうな、と思う。だれでもいいわけではないけど、だれにも興味がないわけではない。そんなの何性愛だろうと同じであって、だったらこっちの見方のほうが、現実をよく捉えている。自分が対象かもと考えるのは、自意識過剰ではあるけどそこまで変じゃない。
 
 この作品の中には同性愛だけじゃない、思春期に誰もがどこかの立場に立つようなキャラクターが書き分けられていて、描き込みの多い絵を見る気持ちになる。
 
 スクールカーストを書いて話題になった『桐島、部活やめるってよ』に似ているな、と思っていたら、既にいろんな人が指摘していた。
 

 それにしてもこういう「はっきりした人気者」が出てくる話には、いつもほんのりと違和感がある。中学でも高校でもいいけど、そんなに明確な「人気者」っていたっけ?だれもが認めるナンバーワン、なんといってもあの人が一番……そんな人ひとりも思い出せない。
 
 自分が過ごした学校はどこも、多少の人気のあるなしはあったけど、だれかが並外れて抜きん出てるってことがなかった。だから学園ものなんかで「明らかな人気者」が描かれると「そんな人いないよ」と思いながら読むことになる。
 
 だって「いい奴で好かれてる」と「スポーツができる」と「顔がきれい」と「かわいい/かっこいい」と「クラスで発言力がある」と「勉強ができて頭がいい」って、すべて別のことじゃなかった?その全部を一人が持ってるなんてこと、まずなかった。
 
 笑いが取れる子がいて、毒舌な子がいて、挙動不審なのに妙に愛されてる子がいて、ちょっと抜けてるけど勉強はできる子がいて、筋肉自慢の子がいて、雑学王がいて、優等生がいて。そんな感じだと思ってたけど、違うんだろうか。
 
 ひょっとしたら自分のいた場所が混沌としていたんだろうか。よくわからない。わかりやすい青春がないまま大人になってしまった。


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