見出し画像

消えない思いと記憶

無事に四十九日も終えて、日々が過ぎていく。

今何をしているんだろう。生まれ変わるための試練でも受けてるんだろうか

ちょこの写真を大量にプリントして、アルバムを購入して、

ぜんぶ収納して私の家に置こうと思っていた。

でも、私が一人で見るよりも実家に置いておいて

家族が見たりした方がたくさん見てもらえるんじゃないかと思った。

私も自分の家にあっても、夫の目の前で見て泣くわけにもいかないし。

ちょうど縦長のアルバムなので、骨壺の横に立てて置いてある。

骨壺の周りには、本当にたくさんの写真があって、

夏が来たら骨壺に浴衣を着せたり、ちょうど顔の大きさと同じくらいに

プリントされてる昔のカレンダーとかを切り取って骨壺に張り付けている。

まるでちょこが本当に浴衣を着ているみたいに。

私はまだいい。実家に住んでいるわけではないから。

新しい夫との生活を生きていかなくちゃいけない。

実家では思い出しかない。賃貸だから越すのも嫌だろう。

やはりたまに親が話してるときに泣いてうらしい。

私はというと、夫と生活していく中で考えない時間はあるし、

骨壺に話しかけたりお線香あげたりを毎日してても

笑顔で写真に話しかけている。

これはこれで次第にちょこのことを思い出にして、忘れて行ってるのではと

自分で少し危機感があった。のだけれど。

そう思っていただけだった。

夫が早く寝た日、私は仏壇の横で「どれ久々に動画でも」と

ipadの動画を流してみた。涙が鼻水がとめどなくあふれ出た。

心臓が痛くなって、心がまた叫ぶ。全然思い出になんかならない。

数日前も、メルカリでなにか売ろうと押入れを開けたとき

私がちょこに最後に買ったふわふわのクッションが目に入った。

それは本当に亡くなる数日前で、たった1日しか使われなかった物だった。

たった1日しか使われていないから匂いも新品のままのクッションを

袋から取り出して触ったら、またアホみたいに涙がぼろぼろ出てきた。

「なんであんなに可愛い子が。なんでいないの。ごめんね。痛かったね。

帰ってきて。また会いに来て。生まれ変わってもう一度。ちょこ。大好き」

何度泣きながら話しかけてるだろう。同じことしか言えない。

これはもう生き物を飼うことを経験した人なら分かるだろうけれど、

思い出にもならないし、瞬時にその感覚は戻ってくる。

久しぶりに見る動画も、クッションも、容易に戻してくれた。

ふわふわでチクチクの風に揺れる茶色い毛を。匂いを。

暖かさを。息の臭さを。お腹のおしっこ臭さを。目のくりくりさを。

私にめいっぱい甘えてくれた可愛さも、構ってくれないとすねるあの目も。

忘れるなんてこと、絶対にない。もう染みついてるんだ。

だからこんなに辛いんだ。

私はもう前みたいに写真を毎日たくさん見ることはないかもしれない。

動画もたまにしか見ないかもしれない。

泣くこともいつかはなくなるかもしれない。

でも忘れずに、ずっといつもそばにちょこがいる。感じる。

だからたまにこうして、記事は残していきたい。


画像1

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?