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セックス依存症だった私が森の中で見つけたもの

JO君は出会った頃「僕はセックスの事しか考えてないんですよ」とよく言っていた。「女性を見るとやりてぇな、としか思わないですし、付き合うとか結婚とか無理なんで、これはもうセフレしかねえな!と」 「セフレ欲しいな、どうやったらセフレできるのかなとかいつも考えてるんすよ」「なかなか最低なヤツなんですよ」と。

そんな素直な彼がとても素敵、と思っていた。いいじゃない、べつにそれで!堂々と生きなよ!と笑って励ました。「なかなか女の敵かもね。なかなかの社会不適合具合だね!」と付け加える事も忘れずに。

そういう自分の内側の、誰にも言ってはいけないであろう事をすべてさらけ出せる人はとても強いと思う。そして私も、包み隠さず自分の過去の事や、現在向き合っている様々な学びについて、彼と話す時間がとても楽しかった。

私は10年以上前、セックス依存症だった過去がある。医師の診断を受けたわけではないが、あれは確実に依存状態だったと確信できる。当時、満たされない自分の内側を、何で埋めたらいいのかを知らなかった。知らな過ぎた私は、ひたすらに沢山の人と刺激的なセックスを重ねた。そしてボロボロになっていった。何回セックスしても、何人としても、どんなハードなSMプレイをしても・・・・それはエスカレートするばかりで、私が満たされる事はなかった。

このままずっと年を取っていってお婆ちゃんになっても、こんな風に誰かに抱かれる事を渇望しているとしたらそんな人生は死んだほうがマシだと思った。本当に毎日死にたいと思って生きていた。

酔っぱらって、高架橋の上から深夜、ここから飛び降りたら死ねるかなあと思いながら泣き続けたけど、飛び降りなかった。

そんな時に震災が起きた。

その地震や津波と同じくらいの強さで私の魂は大きく揺さぶられた。大切だと思っていたものがガラガラと壊れて、津波でさらわれた後みたいに、私の心には何も残っていなかった。空っぽになって、私は、日本の最果てにやってきた。

そこで一人でキャンプをしながら暮らした。野ぐそをして、毎日何時間も薪を拾うために森をさまよった。その拾った薪に火をおこし、焚火でご飯を炊いた。

まだ少し寒い時期で、川の水は冷たすぎて、そこで行水は少し厳しかったから、「お風呂」を沸かした。

といっても、焚火でお風呂を沸かすには大量に薪がいるわけで、そんな事を毎日できるわけもない。

鍋いっぱいにお湯を沸かすだけでもまあまあの時間がかかるのだが、やっと沸いたそのお湯をプラスチックのたらいに入れて、そこに川の水を加えると、水深がやっと5センチ有るか無いかの3「お風呂」になる。

お風呂と呼ぶにはあまりにお粗末としか言えないが、そのお風呂に私は腰だけつかり、手ぬぐいで全身を拭いた。

誰かが来ても裸を見られないように、木の枝と木の枝の間に紐を張り、友人から貰ったアフリカ土産のカンガをその紐につるして目隠しにしたけれど、ついぞ誰もその森には現れなかった。

体を洗った後には、服を着てから、長かった髪を川の水で洗った。服が濡れないように上半身を折り曲げて髪を川に浸して流れる水で洗った。

川は少し冷たかった。時々滝つぼから海老をとってきて焚火で焼いて食べた。

セックス依存症から、最果ての森の中での単独キャンプ。

陰極まって陽にん転じるとは言ったものだ。

誰もいない森の中は、昼でも薄暗く、夜になると漆黒の闇だった。

満月の月明りも届かない。

目が慣れれば見えるようになるのかと、暗闇の中、目の前に手のひらを翳し見つめ続けたけど、5分経っても10分経っても、自分の手のひらは捉えれらなかった。

そんな闇の中でいろいろな事と向き合った。

夜の森は沢山の気配がする。「パキ・・・パキ・・・」と人間の歩幅の何かが近づいてくる音がして、毎日恐怖で眠れなかった。もちろん、そこに人なんているはずもなかった。

朝になればそこはただの森なのに、夜の森は怖かった。

誰も頼れる人がいない、布一枚だけで守られているテントの中で、私はある日恐怖の正体を見つけた。

その正体は「心」だった。

恐怖の正体は自分の「心」だった。

それに気が付いた私は、森を出て、二度目の夫に出会い、その後結婚し、母になった。


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