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妨げるもの

 我、真理を求める旅の途中、夜も更けて休めるところを探していると、寄りかかって休むのにちょうどいいイチジクの木を見つける。
 煮炊きをしたのちに、心を静め、思いを収め、世界と一つになろうと、目をつむり、闇の中に身も心も委ねてみる。

 すると何やら囁く声あり。

 ないものはないんだって言っても、君にはわかってもらえないのかなぁ
 そりゃぁ、君が何をほしがっているのか、僕は十分に分かっているつもりさ
 君はここにたどり着くまでに、いろんなものを見てきたんだね

 そして旅を続けるために、いろんなものを犠牲にしてきたし、君一人だけの力でここまで、これたわけじゃないっていうんだろう?

 でもね、そんなこと、僕には関係がないのさ

 この旅を始めようと思ったのはほかならぬ君自身だ
 君は誰から頼まれたのでもなく、また誰かから命じられたのでもない

 君がいなければ、誰も君のために道を開き、闇夜を照らし、雨風をしのぎ、雪をかき分け、船を渡し、波を乗り越え、砂漠をさ迷い、命を削ったりすることはなかったと思うよ

 君は君を守ってくれる人を置き去りにしてここまで来た
 君は君を押し上げてくれる人を踏み台にしてここまで来た
 君は君に飲み水を与えてくれる人から潤いを奪い
 食料を与えてくれる人から糧を奪った

 そうまでして、ここまできたんだ
 それに見合うだけの対価を君は求めているんだね
 わかる
 わかるよ

 でも、それに見合うものなんて、世の中にあると思うかい?
 たとえあったとしても、それははたして持ち帰ることができるものなのか考えたことがあるかい?

 たとえばそれは、苦行に見合うだけの黄金だったとしよう
 でも、そんな黄金は重くて君一人ではとても持ち帰ることができない
 君は仕方がないので、黄金を運べるだけの馬や人を雇わなければならない
 君がここまできた道のりを、その黄金を背負って、帰らなければならない
 馬も人も飲み食いしなければ動けない
 はたして、君が帰り着くころには、黄金はどれだけ残っているのだろね

 たとえばそれは、飢えも渇きも癒してくれる果実だったとしよう
 でも君たちが帰り着くころにはすべて食べつくしてしまうかもしれない
 或いは果実はみんな腐ってしまうかもしれないよね

 じゃあ、病を治す薬はどうだろう?
 君たちがここに来るまでに病気で苦しんでいた人たちを治すだけの薬となると、はたしてどれだけの数が必要なんだろうね?
 いや、それよりも彼らがそれまで生きているかどうかが問題だよね

 貧困をなくすことも、飢餓から救うこともできない
 病気や怪我も治すことはできない
 そんな君たちを満足させてあげられるようなものが、この世の中にあると思うかい?

 君たちの命は、もっと違うことに、使うべきじゃないのかなぁ

 そこで僕は提案する
 君たちがここに来るまでの間に失われた命を取り戻すことはできるよ
 飢餓で死んでいった子供たちも、病に倒れた母親も
 荒波にのまれた漁師も、物取りに殺された商人も
 でも、そのためには君たちがここに来たことをなかったことにしなければならない
 君たちはここに来なかったし、だから彼らを看取ることもなかった
 君たちの存在そのものが、なかったことになれば、彼らの死もなかったことになる

 どうだい?
 僕にも君にもゆっくり考える時間はある
 それまでの間、君がここに来るまでの苦労話を聞かせておくれよ
 人が苦しみ、死んでいった話を
 人の業の話を
 僕はね
 それが大好物なんだよ
 それなしでは生きていけないくらいにね
 だから君が旅立った日から今まで見てきた『死』や『苦』について話してよ
 僕は君たちの――

 一太刀。
 たった一太刀で"妨げるもの"は姿を消した。


 真実に近づけば近づくほど、虚構は我を惑わそうとする。
 多くの人が挑み、志半ばで息絶えた。
 その怨念が、この地には染みつき、よどみ、集まっているのかもしれない。
 昼となく夜となく、"妨げるもの"はやってくる。

 再び心を静め、思いを収め、世界と一つになろうと、目をつむり、闇の中に身も心も委ねるも、我の心乱れ、点になれず、線になれず、面になれず。我、自らを収めんと念じる。

 我、惑わず
 我は求める
 なぜ人は苦しまなければならないのか
 なぜ人は死ぬと解っていて生きなければならないのか
 なぜ人は無になれないのか
 この世の理を治める者よ
 我は求めん
 理の真を求め、虚ろなる構えを破り捨てる

 我、再び心を解き放つ
 我、思わず
 思わないこともせず

 遠くから声が聞こえる。そう遠くはないのか、或いは一人ではないのか。

  どうしても得ようというのかい?
  そうまでして欲しいのかい?
  僕にはわからないよ
  なぜ、君は求めているものがあると信じられるんだい?
  まぁ、いいさ
  君には恐れ入ったよ
  もし本当に君が望むものが手に入ったら、僕にも教えてくれないかい?
  そのとき、また来るからね
  また会おうね
  僕はいつも君のそばにある
  生きるものすべてのそばにあるんだ

 目を開けると夜は明け、目の前にイチジクの実が一つ地面に落ちている。
 真っ二つに割れたその実は、まるで我を嘲笑うかごとき有様にて失笑を禁じ得ず、しばし樹木の下にて思いにふけることにする。

"妨げるもの"のそばにこそ、我求める"真"ありと知る。

”妨げるもの” それは”死”であろうか
”妨げるもの” それは常に真理の傍らに在り、避けることも、越えることも叶わず、受け入れてこそ、理(ことわり)を得られるのであろうか

 虚しくも在り、煩わしくも在り、苦しくも在り、悲しくも在る

 我、真理を得る器に非ず
 故に欲す者であると知る
 己を知り、求める者で在らんとするところに妨げるもの在り
 故に我、迷うこともなく、省みることなく、この道を進む者なり
 道半ばにて、倒れるとも、それに続くものあれば、道はつながる
 それを善しと解く法を用いる他に”妨げるもの”に抗う術なし

 我、未だ真理を得ず
 されどイチジクの木の傍らにて、戯れに思い老けるも悪しからず

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