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リシケシに恋に落ちる

足を挫いた翌朝、足の痛みはだいぶマシになっていました。おじさんの処置のおかげです。本当に感謝です。

朝食は、ネットでみたLittle buddha cafe で食べる予定でしたが、行く途中に声をかけられたお店に変更。

景色が綺麗ならどこでも良いのです。
バナナパンケーキとチャイを頼み、席につきます。

美しい。

私は、宗教やスピリチュアルなことに関して、一切否定的な感情は無いものの、自分自身は関心がありません。他者に強要しなければ、信仰は自由といったスタンスです。

そのため、聖なるガンガーがどう、という感情は正直あまり無いのですが、この景色は、ただただ美しく、魅力的で、永遠に見ていられるような、そんな感じがしたのでした。

このカフェを勧めてきたお兄さんは、このカフェのスタッフではなく、宿の坂を降りてすぐにあるモモ(チベット料理)のお店の人で、昔このカフェで働いていたのだとか。

パンケーキを食べてる間、お兄さんは横でチャイを飲みます。また世間話をします。彼は、結婚していて、息子が二人いるらしい。彼と私の結婚生活の話で盛り上がります。

男は、小さいときから結婚するまでは、親の言うこと聞いて、結婚したら奥さんの言うこと聞いて、、参っちゃうよ、これは俺んとこ君のとこの共通点だろ?と笑っていました。笑 

彼の子どもは、私学に通っていて、月の学費は約2000ルピー、公立なら数十ルピー。公立の学校の先生のお給料は月7000ルピーほどだと言っていました。公立学校では、先生がスマホを触ったり、お喋りしたりで、教育の質が良くない(彼曰く)。私学は高いけど、お金は稼いだら使うもの、教育は一度投資したら一生モノだから、お金がかかっても子どもには良い教育を受けさせたいと言っていました。

インドに着いてから、格差社会、貧困問題について改めて考えさせられており、自分の専門分野の教育は特に関心があったことなので、インド人からこういう話を聞けたのはとても興味深かったです。

そして、もしわたしが彼の奥さんだったら、こんな風に一人で旅行なんてさせない。インドの中でも、都会の方であればありえるけど、自分が生まれた山の方の地域ではありえない。旦那さんが一緒に行けないなら、お父さんか兄弟が同伴するんだよ、と言っていました。欧米人は本当にオープンだね、と。私はアジア人だよ、というと肌が白い人は全員欧米人だという持論を貫いていました。笑 

そんな彼が働くモモのお店は宿のすぐ前だったので、その後もよく立ち話をしたり、一緒にチャイを飲んだりしてました。

味見させてくれたモモが食べやすい味で気に入り、テイクアウトして帰ったりも。

そのモモのお店の横の坂を下ったこの場所に座り、ただひたすら景色を楽しむ、というのが今回の私のリシケシの過ごし方になったのでした。

日本でもヨガにちょくちょく通っていたのですが、私はヨガをエクササイズの一環として捉えている部分が大きかったようです。しかし、こちらインドのリシケシに来てヨガをしている人たちは、ヨガの精神的な部分に傾倒しているという印象が非常に強かったです。

今回は、足を挫いてしまったことはもちろんですが、この、ヨギーの威圧感(私が一方的に勝手に感じている)に、圧倒されるとともに、私のような精神の持ち主はここでヨガをすべきでないようにさえ思えてしまい、ヨガの聖地でヨガをせず、。

しかし、この選択がなんとも自分らしくて嫌いではないのでした。後日、カフェで少し話したフランス人のおじさんも、リシケシには何度か来ているけど、特に何もせずこの雰囲気を楽しんでいると言っており、意気投合しました。笑

本当に何もしない、ただただ流れるガンジス川を見つめいろんなことを考えた数日。こんな時間は何よりも贅沢だなーと思います。

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