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狩猟をしてみて

2024.03.29より

上京し、ただいま4日目となりました。
上京前は予定いっぱいで駆け抜け、上京してからも引っ越しの手続きや家づくりでひたすら走っていました。(今は少し落ち着いてきています)

なぜ今書くのかというと、北海道にいた時の気持ちが薄れているのではないかと少し危惧したからです。

まだ4日目なのですが、本当に毎日がめまぐるしく、気持ちとしては1週間たった気持ちです。1人でやらないといけないことが増え、気持ちが下がらないようになんとか生きています。(きっとこの感情になることも貴重なんだろうと)

ふとカメラロールを遡ったときに、鹿狩猟の写真を見て、本当に遠い昔のような気分になり、あの時と今の気持ちを織り交ぜて書くのも面白いかもと思って綴ります。

2024.03.10

今月起きたこととは思えない。
前回の釧路リベンジと題して、a.m.5:00起きで厚田へと向かった。まだ薄暗い空、これから何かがはじまる高揚感を胸に。徐々に日がのぼり、空は清々しい青へと変わる中で、バイト先のメンバー3人で狩猟へと向かった。

前回の釧路よりも鹿の集団が多く、狩猟する側にとっては捕らえやすいのだろうと思った。はじめてから30分ほど、2匹の鹿を見つけた。

そろり、そろり、、雪のぎゅうぎゅうする音をできる限りおさえる

ダンッーーー

青い空、白い雪、静けさの中で1匹の鹿は命を落とした。

いそいそと近くに寄っていくと、鹿はジタバタしていた。
まだ生きようと抵抗しているその動きに、私は動揺した。
(これから解体するのか……)

ついに解体作業に入る。ここからは免許がなくてもできるため、手伝わせていただいた。解体する順番はお尻から。想像以上にでてくるフンの量に驚きを隠せなかった。本当にタピオカみたい、、。

続いて、腹へ。ナイフを入れた瞬間、羊水がダバダバと流れ、1匹の胎児が出てきた。
まだ若く、お腹が張っていなかったから分からなかった。この時、言葉にならない感情に襲われた。可哀想だとか思える心情にはなかった。これが現実で、受け止めなければならないと。

ここからはスイッチが切り替わり、先輩の手際の良さに圧倒されながら、指示してもらうままに肉から骨まで切っていった。そういえば獣臭さは一切なく、不思議に思ったぐらいだったな。

肉へと変わった鹿を、木に吊るした紐にひっかけていく。これがまた重い、、吊るす頃には手と足がキンキンに冷え、早く車へ戻るためにいそいそとかけていった。

血抜きの間は散歩をし、景色を楽しんだ。はじめてのスノーシューは歩きやすかったなぁ。

先輩は、帰省本能を持っているんじゃないかというぐらい方向感覚に優れていた。無事元の場所に辿り着き、持ち分の仕分けを行った。私は今回最初で最後かもしれないということで、ほとんどを持ち帰らせていただいた。

持ち帰ると、、、?!?!なんかでかいぞ?!
大自然の中にあった肉は、家に持ち帰るとなぜか大きくなっていた。(家具屋でみたときに丁度いいサイズと思ったけど、持ち帰ると意外とでかいみたいな)

後日、お肉を切り分けて、冷蔵分と冷凍分にわけていった。お肉たちは、シチュー、プルコギ、ねぎ塩焼き、、、へと調理した。できる限り美味しくなるようにと。


初の狩猟は、非日常すぎて、刺激的な1日だった。
自ら食料を得るためには、これだけ大変な作業が行われると考えると、今ある環境への感謝の気持ちを強く思った。
また、命をいただいているということを、目で、感触で味わうことができた。百聞は一見にしかずではなく、実際に体験しないと分からないことがたっくさんあることを学んだ。

今、私は東京にいる。情報量が膨大で、都心にでると顕著に感じる。常に"早くしないと"が付き纏う。今日はテレビで見ていた人が現れた。非日常であって刺激的ーーー。

どちらも非日常で刺激的でありながらも、心の揺れ動きは異なる。豊かさってなんだろう。1人になることが多いからか哲学的なことを考えてしまう。

まだ仕事は始まってはいないが、これから東京で和食の料理人をする。料理の腕を磨くために上京したが、それ以上に自分の人生について考えさせられることが多くなりそう。

東京での暮らし、本当に大切なものを見失わないように。
どこにいても少なからず流されるものだと思うから、しっくりくる環境に身を置いて。より一層厚みを増せるように、日々を大切に過ごしたい。

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