降霊の箱庭 ~第四話~
<前話>
「ほんっとに馬鹿みてぇだ」
図書準備室を出てすぐ。
溜息交じりに、割垣蓮は呟いた。
蓮はそもそも面倒臭がりだ。
宿題も委員会活動もきちんとこなすが、サボれるものならいくらだってサボりたい。そうしないのは、教師に叱られるという上位互換の面倒を避けるために他ならない。
服装や髪型は、この面倒な日常に対するせめてもの抵抗だった。
最初は当然、叱られた。生徒指導部室に呼び出され、完全に不良生徒のレッテルを貼られた。しかし一年生の夏頃、クラスの友人を私刑していた犯人をとっ捕まえ、一発殴って校長の前に突き出した時から、教師間での蓮の評価は一変した。
態度は悪いが、法を犯すようなことはしていない。
服装は悪いが、それ以外の校則は割と守っている。
目つきは悪いが、よく笑うし交友関係も広くて潔白。
口調は乱暴だが、誰かをいじめるような真似はしない。
要するに「ちょっとはみ出ているだけの奴」という見方に変わったのである。
以来、外見については黙認されるようになった。服装点検の時くらいはちゃんとしろよ、と蓮を可愛がる教師まで現れた。生徒指導部からすれば非常に苦々しい存在である。
図書委員になったのも、流れだった。
部活動に所属しないなら委員会に入ること。そんな面倒な学校の規則に従ったまで。活動内容も、定例会に出て、週に一度カウンター業務をするという比較的楽なもの。
「お前の顔なら図書室利用率を倍にできるぞ」などと担任教師とクラスメイトにおだてられたのもあって、今年の蓮は図書委員会に所属することに決めたのだった。
「あ~あ、マジで予定外」
一年生の教室に向けて歩きながら、再び呟く蓮。
そう、カウンター当番のペアになった倉闇まどかが問題だった。
てんで本に興味のない蓮に対し、まどかは呆れ返った様子で様々なことを語ってきた。中原中也がどうとか、ライトノベルがどうとか、君はまず絵本から始めるべきだねとか。知識欲のある者からすれば、まどかの中学生離れした蘊蓄は垂涎ものなのだろうが、本を枕に寝るタイプの蓮にとっては、残念ながら念仏と変わらなかった。
極め付けに、今日のこっくりさん談義だ。
「霊がいる? こっくりさんに呪われた? ハ、そんなもん小学生で卒業しとけっての」
今度、まどかの身長では届かないところにある本を取って、からかってやる。そう心に決めながら、蓮は一年四組の教室の扉を開けた。
「兄貴!」
教室内にいたのは、一人の女子生徒。
艶のある長い黒髪をポニーテールにしている。ぱっちり大きな吊り目に、溌剌とした雰囲気。蓮を見ると彼女は、嬉しそうな助けられたような声を上げた。
「よう、待たせて悪かったな。うるさい先輩に巻き込まれたもんでよ」
彼女の名は割垣華。
母親違いの妹である。
「それはいいの。こっちもちょっと……色々立て込んでたところだから。ね、関君?」
華は、教室内にいた別の男子生徒に目をやる。関というらしいその生徒は、不安げな目をして華の後ろに立っていた。
「何かあったのか?」
「うん。関君の大事な懐中時計が、どっか行っちゃったんだって。だから教室中探してるとこ」
「…………」
蓮の問いに華が答え、当事者らしい関は黙ったまま。垢抜けない髪型とやや肥満っぽい体形、根暗な雰囲気は、傍から見れば完全にスクールカースト底辺の者のそれだ。
だがそんなことを気にする蓮と華ではない。
「ねぇ兄貴。一緒に探すの手伝ってくれない?」
兄と同じく正義感の強い彼女は、言う。
また面倒な事態になった、と蓮は内心ごちる。だが遅くなったついでであること、何より可愛い妹の頼みであることを考慮し、仕方なく応じることにした。
教室内をしらみつぶしに探す。関の鞄の中はもう三度も改めたというが、それでも念のため。さらに他生徒のロッカー、掃除用具入れ、教卓の中まで、丹念に。
特に関が必死で探っているのは、とある男子生徒のロッカーだった。
「絶対、こいつが隠したんだ……」
ロッカーには「遠藤」という苗字が書かれている。
「いつもそうだ。ボクのこと困らせる。陽キャだからって人を見下して……」
ぼそぼそと呟かれる、恨み節。
女子のいじめは陰湿だ、と世間ではよく言われるが、蓮からすれば男子も左程変わらないと思う。そもそも「いじめ」そのものが陰湿で卑怯な行為なのだ。暴力の有無、第三者から見た分かりやすさなど多少の差異はあれど、結局は十人十色、そこに性差を見出すのは不毛である。
「どうして学校に懐中時計なんて持ってきたの?」
華の問いに、関は少し迷ってから言う。
「えっと、あの……ばあちゃんの、形見なんです」
ロッカーを探る手は止めないまま。
「小四の時、病気で死ぬ間際に、ボクにくれました。『この懐中時計がばあちゃんの代わりだよ。止まってしまっても、ネジを巻けばカチコチ動く。ネジを巻いてくれたなら、ばあちゃんはまたお前の手の中で、何度だってお喋りするからね』って。それから何となく、いつも持ち歩いてないと落ち着かなくなって……」
「…………」
当然、懐中時計は学校に必要のないもので、それを持ち込んでいたことは校則違反だ。だがそのような切ないエピソードを聞かされてしまっては、自己責任だと切り捨てることなど、蓮にも華にもできなかった。
一層気合いを入れて探す。
夕日が傾き、東の空がうっすら藍色になる。
それでも、懐中時計は出てこない。
見当を付けた場所が外れるたび、関の顔色は青く、口数が少なくなっていった。
「まさかとは思ったけど、ここもダメかぁ」
極め付けにゴミ箱をひっくり返して探したものの、やはりそこにも時計はなかった。
「…………もう、いいです」
思い当たる場所はもう全て探し切った。
最後の望みが絶たれた。
しばらく無言でしゃがみ込んでいた関は、やがてぽつりと呟き、ゆっくりと立ち上がった。
「二人とも、ありがとうございました」
礼を言われる。だがその目線は二人を素通りしてもっと遠くを見ており、心ここにあらずなのは明らかだった。
そのまま関は「ちょっと気分が悪いのでトイレに」と言い、教室からふらふら出ていった。
「……大丈夫か、アイツ」
「分かんない……」
しばし心配そうにしていた華は、ふと何か思い付いたのか、パッと蓮の方を見た。
「そうだ、先生! 先生にも訊いてくるね! もし何も知らなくても、こんなことがあったって報告するだけでもいいし!」
そしてこちらが何か言う間もなく、走って教室を出ていった。
残されたのは、蓮一人。
何だか今日は疲れた。放課後に起きた出来事があまりにも多すぎる。これから帰って、華と二人で家事もしなければならないのに。
「もー嫌だ」
天井を見上げて嘆く。
それから、なかなか帰ってこない関を案じて、男子トイレを覗きに行くことにした。
男子トイレは空っぽだった。
電気すら点いていなかった。
「…………は?」
間抜けな声が自分から漏れる。
何だ? アイツ、どこ行った? 慌ててトイレを飛び出し、周囲を窺う。階段を下りる足音はしなかったので、まだこの階にいるのは確かだ。
――変な気を起こしたんじゃないだろうな。
先程の関の様子を思い出し、最悪の状況も頭をよぎる。
と、どこからかかすかに、声が聞こえた。
蓮から見て左側だ。
見る。そしてその先にあるものに気付き……蓮はまた「は?」と言う羽目になった。
噂の空き教室。封鎖された空き教室。
その立入禁止テープが、剥がれ落ちている。
声はその中から聞こえていた。
少しの迷いもなく、蓮はそこへ飛び込んだ。
果たして中にいたのは関だった。彼は教室の中心辺りの椅子に座り、机に向かって話し掛けていた。
いや、机の上の白い紙と十円玉に向けて、話し掛けていた。
「こっくりさん、こっくりさん。ありがとうございました」と。
「馬鹿! 何してんだお前!」
一瞬息を呑んで、そして我に返って、蓮は関の片腕を掴んだ。
「すみません……もう、こうするしかなかったんです……」
関の目には涙が浮かんでいた。
「そもそもボク、こっくりさんの事件に興味があったんです。紙と十円玉だけ用意して、でも怖くてなかなか実行できませんでした」
声を震わせながら、悲しげな笑みを浮かべて。
「だからいい機会だと思って、こっくりさんに訊いてみました。『ボクの懐中時計を盗んだのは遠藤ですか』って。十円玉、動きましたよ。『はい』に向かって……」
関は、言う。
「その瞬間、もうどうでもよくなりました」
だからボクはお願いしたんです。
こっくりさん、こっくりさん。
遠藤を呪い殺してください、って。
「…………!」
絶句するしかなかった。
「別にこんなの、叶わなくてもいいんです。ただ、十円玉は『はい』に動いてくれたから。それだけでもう、ボクには充分なんです……」
蓮はただ絶句して、関の悲しく恐ろしい独白を聞いていた。
そこへ訪れるさらなる地獄。
「もう、ダメじゃんこんなとこ入ったら!」
二人の姿を探していたらしい華が、息を切らして現れた。
「あのね。懐中時計、先生が持ってたよ!」
――!?
蓮が、関が、凍り付く。
「遠藤が持ってるのを見付けて、没収したんだってさ。事情を説明したら納得してくれたよ。とにかく関君本人が来てくれれば、注意した後でちゃんと返すって。……ねえ、どうしたの?」
嬉しそうに話していた華が、ただならぬ様子の二人を見て、表情を曇らせていく。
「……おい、その遠藤って奴は何の部活だ?」
先に立ち直ったのは蓮だった。
「え、えっと……確か、ハンドボール部、ですけど……」
「見に行くぞ」
そしていつの間にか離していた関の腕を再び掴み、強引に立たせた。
「ちょ、兄貴? どういうことか説明してよ!」
「そんな暇ねぇよ!」
蓮が、それについていく関と華が、揃って階段を駆け下りる。
――こっくりさんなんざ、あるワケねぇ。
階段を一階まで下り切り、そのままグラウンドに向けて走る。
――呪いなんざ、馬鹿げてる。
上履きのままなのも構わず、グラウンドに踏み入れる。
――そんな、馬鹿なこと……。
ハンドボールのコートには、人だかりができていた。
明らかに練習している空気ではない。
「遠藤! 遠藤! しっかりしなさい!」
人だかりの中心には、倒れた男子生徒が一人。
教師がそこへ覆い被さるようにして、心臓マッサージをしている。
「……………………」
蓮も、華も、言葉がなかった。
「……あ、あはっ……ボク、あはは、あ…………」
関が呆けたように呟き、ぺたりとその場に座り込んだ。
<次話>
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