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不安との付き合い方1(感情と繋がる)

コロナウィルス感染拡大の影響で不安を抱えている人が多く出てきていると感じる。ぼくもそれなりに不安である。この先どうなるかはなかなか読めないから。こんな時には日頃、メインに語っているコミュニケーションの話よりも、不安などネガティブな感情への対処法などが需要がありそうなので、めんたね流のやり方を簡単にまとめておく。

事実・感情・思考に分ける

まずは自分の現在の感情と思考を把握する。

・事実(周囲の状況、自分や他人が過去に取った行動など)
・感情(恐怖、怒り、悲しみなど。「胸のモヤモヤ」などの体感覚を伴う)
・思考(言葉を使って頭の中で考えていること)

ある「~(事実)」について、
こんな「~(感情)」を感じていて、
こんな「~(思考)」を考えている。

この形で自分の不安などネガティブ感情を捉えておくだけで少し落ち着く。

言語化する

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ただし、頭の中でぼんやりと考えているだけではモヤモヤしたままである可能性が高い。きちんと言葉にすることで、曖昧な形を取った不安の輪郭が見えてくる。幽霊の正体見たり枯れ尾花、である。

言語化するためには、

1.人に話す
2.文字として書き出す

このどちらかの手段を選ぶとよい。

じっくりと時間をかけて自分の不安と向き合うには文字として書き出すのがいい。

ただし、一人きりで自分の不安と向き合うには勇気が必要になる。だから、信頼できる人がそばにいる状態で会話をしながら文字としても書き出せるならば、一番やりやすいだろう。

人に話すだけの時には、聴き手側の聴き方が上手いか下手かによってだいぶ影響を受ける。

感情の居場所を作る

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人は自己理想を持っている。自己理想に近いセルフイメージを持てると心が安定し、自己理想とは遠くかけ離れたセルフイメージを持っていると心が不安定になる。

たとえば「怒らず、常に冷静沈着な私」という自己理想を持っている人は、なるべくそれに近い形でセルフイメージを保とうとする。その結果、強い怒りの感情があったとしても、そこに目を向けることができずに怒りの感情を無いことにしてしまう。

これを否認とか抑圧と呼ぶ。不快な体験や欲求、感情を、無いことにしてしまうのが否認。意識の上で忘れ去ってしまうのが抑圧だ。否認、抑圧された感情には適切な居場所がない。心の奥底にギューッと押し込められて存在しないことにされてしまう。

この状態では居場所がない感情がかえって意識できないところで悲鳴を上げて、心が不安定になる。ちょっとした刺激にも強く感情反応してしまう。そして、それすらも気づけないという悪循環に陥る。

そうならないためには、「世間からしたら褒められたものではない感情や思考であっても、内心で持つぶんには完全に自由で、一切問題なし」と考えるようにするとよい。脳内であれば、世界に対する呪詛を吐きまくり、大量殺人をする妄想をいくらしてもいい。実行さえしなければノープロブレム。これが感情の居場所を作るということである。

もし仮に世界の誰もがあなたの感情や思考を受け入れてくれないのだとしたら、せめて自分くらいはその存在を認めて、受け入れてやらないと彼ら(あなたの感情や思考)も報われないではないではないか。内心はドロドロでいいし、内心のドロドロを自覚して言語化できる人の方が、だいたい落ち着いているものだ。

だからといって、無理にドロドロしようと頑張る必要はない。時々、太宰治あたりを好きな人が謎にドロドロしようと頑張って、こじらせている。それは本末転倒だ。ありのままの自分の感情や思考を把握しさえすればいい。

不安感情は把握するのが難しい

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不安感情は他の様々な感情と比べても特に把握しにくい。

「恐怖」は対象がはっきりしたもので、「不安」は対象がはっきりしないものなどと定義する人もいる。

この対象がはっきりしない感情を把握するために有益なのが、感情に伴う体感覚に注意を向けるやり方である。以下、説明していこう。

感情を体感覚と言葉に分ける

感覚に注意を向けるやり方の具体的説明に入る前に、二つの前提について述べておく。

まず第一の前提として、感情を「体感覚」と「言葉(感情の名前)」という二つの要素からできていると考えておいてほしい。

感情は必ず何らかの体感覚を伴う。この体感覚というのは内臓感覚と言い換えてもいいかもしれない。空腹感と怒りというのは非常に近いわけだ。どちらも内臓感覚であり、その感覚に「空腹感」とか「怒り」などと私たちが自分で言葉を張り付けて名前を付ける。これが感情だ。

感情=体感覚+言葉(感情名)

もし一切の体感覚を伴わないものがあるならば、おそらくそれは感情ではない。思考である。思考は体感覚、内臓感覚を伴わなくても存在できる。体感覚や内臓感覚を一切伴わない思考は私たちにとって全く苦しさを生まない。不安感情と向き合うにあたっては、後回しにしてもいいだろう。

ネガティブ感情は私たちを助けるために存在している

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第二の前提は以下のようなものだ。

一見、どんなにネガティブに見える感情も、私たち人間をサポートし、何らかの点において役立つために進化・発展してきたシステムである。

恐怖がなければ高所に登って、そこからうっかり落ちて命を失うかもしれない。怒りがなければ不当な要求に立ち向かって突っぱねることができないかもしれない。

すべての感情は私たちの役に立とうとしてくれている。たとえそれがネガティブに感じられるものであっても、自分の心に湧くすべての感情を自分を助けてくれる大事な協力者として尊重してみよう。もし、それができれば、自然と自分の感情に居場所ができてくる。

ネガティブ感情達にお茶を出してもてなす。ゆっくりくつろいで彼らと時間を過ごす。ただ黙ってじっとしているのに飽きてきたら彼らとのんびり対話をする。ネガティブ感情の声に耳をじっくりと傾けてやる。強い感情ほど、雄弁に様々なことを伝えてくれるはずだ。

体感覚に意識を向けて味わう

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実際にネガティブ感情と対話するには、その感情に伴う体感覚に意識を向けるとよい。言葉を使った思考に入り込んでしまうと、言葉だけが表面的にグルグルと空回りしてうまくネガティブ感情と繋がることができない。以下の手順を参考にしてやってみるのもいいかもしれない。

1.目を閉じて、今、感じ取ろうとしている感情にまつわる出来事や、その感情自体を少し思い起こしてみる。

2.その時、身体で感じる体感覚に注目する(胸のあたりに重い感覚がある、のどがキューっとつまる感覚がする、など)。

3.その体感覚が強くなりすぎたら、目を開けて戻ってきて終わりにする。大丈夫であれば、しばらく(5分程度)その体感覚をぼんやりと感じ取り続ける。

一番シンプルなやり方はここまで。こうやって言葉を使わずに感情の体感覚的な側面と繋がる時間を持つ。これだけでかなり違う。心のストレッチという感覚で、ふと気が向いたらやってみるといい。

もう少し、ネガティブ感情とおしゃべりしてみたいと思う人は、次のステップに入ってもよい。ただし、1~3までのステップがすべての基本であり、ここで体感覚としっかり繋がることができていないと、以下のステップは空回りしてしまう。言葉を徐々に使っていくからだ。慣れない人は焦らず1~3までを繰り返しやった方がいいだろう。

4.その体感覚にしっくりきそうな名前を思い浮かべてみる(モヤモヤ君、タローなど)。その名前を思い浮かべたとき、体感覚が変化するかどうかに注目する。もしも変化したときには、それは体感覚の側もその名前で喜んでいるのか、嫌がっているのかを感じ取ろうとしてみる。もしも体感覚側もOKするようなしっくりくる名前を見つけたら、その名前を採用する。見つからなければ、8へ行く。

5.「(体感覚の名前)、あなたは私に何か伝えて役に立ちたいと思っていますか?」と頭の中で問いかけて、再び、ぼんやりと体感覚の変化に意識を向ける。ひょっとしたら、YESやNOのような体感覚の変化、返答がもらえるかもしれない。返答はもらえても、もらえなくてもいい。ネガティブ感情の多くは恥ずかしがり屋でなかなか心を開いて話してくれない。そんな彼らとのんびり関わっていること自体に大切な意味がある。返答がもらえない場合は8へ行く。

6.「(体感覚の名前)、あなたが私に伝えたいことがあれば、何らかのやり方で教えてください。映像でも言葉でも体感覚でもなんでも自由なやり方で構いません」と頭の中で問いかけ、また体感覚の変化など、反応に注目する。無理に反応を引っ張り出そうとしなくていい。のんびり待つだけにして、出てこない時にはまだその時期ではないので、気にしないでいい。しばらく待っても反応がなければ8へ行く。

7.「(体感覚の名前)、また今度、あなたとお話ししたいときには声をかけてもいいですか?」と頭の中で問いかけて答えをもらう。これも答えがなければないでいい。そのときはそのまま8へ行く。

8.「今日はありがとう。またね」と挨拶してやり取りを終える。最後に目を開ける。

必ずしも、この手順を踏まなければならないわけではない。要は自分の感情をじっくりと味わう時間を作れればそれでよい。

ただそう言われてもどうしたらいいのか途方に暮れてしまう人も出るであろう。だから、フォーカシングという技術の簡易版に自分なりに少し手を入れたものをここでは紹介しておいた。

もしこの辺、自分の感情と繋がることに興味がある人は、「フォーカシング」についての本なりネット記事なりを参考にしてもらえれば、もっと深く色々なことがわかると思う。

次へ(不安との付き合い方2 悩みと望み)




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