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不安との付き合い方2(悩みと望み)

「不安との付き合い方1」で不安感情と繋がる方法について述べた。ある程度不安の正体は明らかになってきたはずだ。不安に限らないがネガティブ感情というのは一種の悩みと言える。何かに困っている、不快な状況にあるということだ。

そして、悩みの背後には必ず望みがある。この望みに注目することで、さらに心はすっきりと整理される。

望みを把握する

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理想通りの状態、思い通りの状態と比べて、何かしら欠けているところがある。そんなとき、私たちは悩みと感じる。すべてが思い通りであれば、そこに悩みはない。

そして、そこで想定される理想通りの状態、これこそが望みだ。悩みの裏には必ず望みがある。悩みと望みは表裏一体の関係にある。

まずはどんなことを自分が望みとして持っているのかを把握する。望みは自分が少しでも楽になっていく方向を示してくれる目標地点であり、ゴールである。人は基本的には望みを目指して動いていけばいい。

では、前の記事で示した3つの分類項目に、もう一つ「望み」という項目も付け加えてみよう。

・事実(周囲の状況、自分や他人が過去に取った行動など)
・感情(恐怖、怒り、悲しみなど。「胸のモヤモヤ」などの体感覚を伴う)
・思考(言葉を使って頭の中で考えていること)
・望み(思い通りの理想状態)

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今まで多くの人たちからの相談を受けてきた経験上、望みが語れない、思いつかない人ほど悩みが深い。深刻といえる。望みが見えないとは、どちらに向かって動いたらいいかわからないということである。当然、心も辛くなる。

望みを考えるポイントは、自分の悩みを踏まえたうえで「では、それが理想をいえば、どうなったらいいなあと思うのか?」と自分に問いかけてみることである。「どうしたいのか?」と行動を問いかけると、現実に縛られて、自分の率直な望みが出てきにくくなる。あくまでも夢物語でいい。実現可能性の有無などは後回しでいい。「どうなったらいいなあと思うのか?」と理想的な状態を考えてみることで、自分が本当に望んでいることと繋がることができる。

ここまでくれば不安の手触りも当初とはだいぶ違ってくる。

なんだか正体の見えない曖昧模糊とした存在ではなく、対象のはっきりしない不安もだいぶ対象のはっきりした恐怖へと変わっているはずだ。

また、その恐怖を少しでも減らすためにどのような状態になることを自分が望んでいるのかも見えてきている。

実現可能な望み、不可能な望み

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夢物語でもいいから望みを考えるようにしてみると、実現不可能な望みが出てくることも多い。

その望みが実現不可能であると気づくことは、必ずしも心を辛くすることとは限らない。実現可能性があるのか、ないのか、よくわからない状態で悶々とするのは結構つらい。実現可能性が全くないとはっきりわかってしまう方が、これ以上、この望みについてあれこれ思い悩んでも意味がない、と開き直ることを可能にする。

また、100%望み通りというわけにはいかないが、少なくとも50%ぐらいはこの望みの方向に向かって近づいていけそうだ、などと歩いていく方向が見える。この方向が見えることで心はずいぶん落ち着く。

自分に望むこと、他人に望むこと

望みの向け先は二種類ある。一つは自分自身、もう一つは自分以外の他人である。私たちが自分に何かを望むときは、「~したい」と言う。一方、他人に何かを望むときは、「~してほしい」と言う。

自分に望むとき:「~したい」
他人に望むとき:「~してほしい」

実現しやすいのは、自分に望むことである。自分への望みは自分が応えてやればすぐに実現する。もちろん、自分への望みであっても、なかなか応えるのが難しい望みもたくさんあるが。ぼくは痩せたいと常々思っているが、その道のりは遠く険しい。でも、他人に何かを望むよりは基本的にはかないやすい。

他人への望みをかなえるにはちょっとしたコツが必要になる。

他人にただぼんやりと望んで待っているだけでは滅多に望みは実現しない。相手の気が急に変わって行動を変える、という偶然任せの奇跡を待ち望むしかない。もしも今まで通りの関わり方で相手と接し続けるのであれば、相手も今まで通りの反応を返し続ける可能性が高いのだ。

そこで、相手に対する関わり方、働きかけ方を今までとは変える必要が出てくる。

今までは口に出して要望を伝えることをしていなかったのならば「~してほしい」と相手に伝えてみることで状況は変わるかもしれない。

今まで口うるさく相手に要求を出しても、暖簾に腕押しで望ましい反応が返ってこなかったのであれば、今までのやり方とは異なる新たな働きかけを行ってみることで、相手への望みがかなう可能性は高まる。

そこで必要な発想は、

「相手がこちらの望み通りに動くように、自分から相手に対して新たな働きかけをしたい」

とういう風に、相手への望みを自分への望みへと変換することである。

相手への望みを相手への望みの形のまま持ち続けていると、全ては相手の反応次第、奇跡待ちの運任せになってしまう。しかし、相手への望みを自分への望みの形へと変換することで、色々と試してみたいこと、やってみたいことが生まれてくる。

そこで実際の行動としてはやりようがないとわかることがある。この場合、それはそれで心は落ち着く。実現不可能だと心の底からわかれば、これ以上は悩んでいても意味がない、と開き直りやすくなるからだ。

また、自分の行動を変えてまではその望みを実現したいとは思わないと気づくこともある。相手から勝手に変わってくれることをあくまでも望んでいるのであって、これ以上、自分の行動は一切変えたくない。それも立派な望みだ。そこに気づくのは大変に重要だ。

自分の行動を変えなければ望みは実現しないが、自分の行動を変えるつもりはない。そうなれば、当然、望みは実現しない。実現不可能である。それがはっきりとわかるため、先ほど同様に無理なものは無理、と開き直りやすくなる。

心の底から絶望する

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つまり、逆説的ではあるが、心の底から絶望すれば、心は穏やかになるということだ。

不安の対象が曖昧なとき、きちんと望みの形として見えていない時、人は希望を持つことも、絶望することもできない。何から何までわからない。混沌の渦に巻き込まれているだけである。そんなときが一番辛く、心が不安定になる。

不安を見つめ、不安と対話し、不安の背後にある望みを知る。そして、望みを見つめ、望みと対話し、望みの実現を真剣に模索する。

その先にやってくる絶望は試合終了のゴングであり、もうこれ以上、リングの上で苦しみながら殴り合う必要がないことを告げてくれる。本当に戦う必要のある問題とだけ格闘し、戦っても無駄な相手を前にしてはリングを降りる。

まずは望みの実現を真剣に目指してみよう。やってみたけど無理だったという結果でもいいから。そうすることで、いたずらに不安に振り回されることなく、いい形で不安の声を聴き、不安とうまく付き合っていけるだろう。



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