見出し画像

なんだか生きづらい・・・と思っている方にオススメの小説〜最初の悪い男〜

生きづらいと思っている人はクセが強い、んじゃないか?

クセの強い人

ミランダ・ジェライの『最初の悪い男』は現代に閉塞感がある方に特にオススメの小説でして、なんでオススメかというと出てくるキャラが全員クセが強く、それが原因で普通に読んだらただの頭のおかしい人たちの物語でしかないが、どこか孤独感に親近感のある小説でした。

なんでだろうか?と思っていたのですが、誰しも閉塞感を持っているからなのかなと。

現代は、特に日本は誰もが同じような価値観しか持ってなくて(ホントは本音を隠して生きていると思うが)、そこに当てはめるような『右へ倣え精神』が根強いから、その気持ちに対して理解できるといいますか。

この話は一言で言うと『女性版ファイト・クラブ』

言い争い

あらすじについて引用すると

43歳独身のシェリルは職場の年上男に片想いしながら、孤独な箱庭的小宇宙からなる快適生活を謳歌。9歳のときに出会い生き別れとなった運命の赤ん坊、クベルコ・ボンディとの再会を夢みる妄想がちな日々は、上司の娘が転がり込んできたことにより一変。衛生観念ゼロ、美人で巨乳で足の臭い20歳のクリーだ。水と油のふたりの共同生活が臨界点をむかえたとき―。幾重にもからみあった人々の網の目がこの世に紡ぎだした奇跡。

とまあ、一人は自分のルールに法ってしか生きられない独身女性と、そんなルールをズゲズゲと破ってくれる暴力娘が同居して、価値観をぶっ壊してくれる、言うなれば女性版の『ファイト・クラブ』です。

理解されたい、でも分かって欲しくない

一人

誰もがレビューで書くことですが、この小説は何より『愛』について考えさせられます。誰もがシェリルのような理解されない、孤独な世界観を持っているものですが本当は寄り添ってもらいたいものです。

一方で自分の世界は自分のモノだ、と言う価値観も持ち合わせているものです。特別に見られたいから、自分は人間味が深い人間だ、誰にも侵入されたくない、色々な理由がありますがそういうものです。自分の世界に踏み込まれたらなんだか気持ち悪いものを感じます(自分だけかもしれませんが笑)。

この物語はケンカシーンばかり描かれてます。親子ほど世代の違う二人の間では、会話がまったく成立しません。

そのため、おんな二人は、心と心のバトルではなく、体と体を直接ぶつけ合うパンチと平手、蹴りあいと押さえつけの沈黙・暴力バトルを交わすのみの毎日。傷だらけ、ぶち身とあざだらけの体が痛い毎日を送ります。

ただ、ほとんどの人が避ける体と体のぶつけ合いとは不思議なもので、そうするうち、なぜか二人のバトルはだんだん、本気の怒りの発散から、ゲームのバトルのように遊んでしまって、お互いを愛おしく感じる関係に。

愛し愛されるには、さらけ出して、ぶちまけて、時には殴り合って、といった痛みをひたすら受ける時期が必要なのかと。逆に何か閉塞感を感じるのは本音を全力で否定して、ケンカしてくれる友人がいないのかなとか思ったり。

平和だからこそ、愛が遠ざかる、、のかもしれない

愛

現代はとにかく奇跡に満ち溢れています。なぜなら我々は戦争を知らないからです。殺しあう文化を凌駕した時代に生きています。これ以上ない恒久的な平和の中にいて、だから愛について考える余裕があります。

一方で、物事は陰と陽があるようにいいこともあれば悪いこともある。完璧にいい、完璧に悪い、なんてのはありえないというのが自分の意見です。だから平和にも弊害はあります。

それは『ぶつかり合い』の機会が失われたこと。物理的に苦しい思いをせずに一生を生きられること。物理的にも精神的にも苦しい時に初めて思いをぶちまけるものです。どちらか片方だけだとよほど追い込まれない限り大丈夫なもんですから吐かずに済むものです。

ぶつかり合うことで、自分でも気づけなかった感情に気づけたりします。生身の体験が失われたことで、『不感症』にさせられている世界なのかと。だからそういう機会は出会えたら最高なんだろうなと思わせられました。

そんな裸と裸の関わりを味わえる、もの凄くナイスな一冊でありました。思いっきり感動したし、震えるものがある小説でした。



この記事が参加している募集

#読書感想文

188,766件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?