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SNSで「男性がおごるべき」を主張する女性たち。


皆様、今日も1日、お疲れ様です!

今回は、「おごりおごられ論争」について、アラサー女視点でお話してみたいと思います。

本テーマについて、SNSでよく拝見する女性側の主張。
女性は男性と食事に行くためにお洋服を新調し、お化粧をして、髪をセットする。
男性より時間もお金もかかっているのだから、男性側が食事代については配慮してほしい。

私自身もこの意見を目にした時、なるほどなーと納得する部分があったことは否定できません。

何故、論争が繰り広げられるのか?

WEB上で調べてみたところ、男性がおごるという考え方に賛成する男女の割合はともに少数で、その中でも、どちらかというと男性の方が「男性がおごるべき」と考えている割合が高いという内閣府の調査結果に基づいた記事を拝見しました。
※ただ、男性がおごるという考え方に賛同しない方が、男女共に過半数であるという事実もあります。

「男性がおごるべき」に賛同しているのは、女性より男性の割合が高い。それなのになぜ、こういった論争が起きるのでしょうか。

それは女性側から声を大にして、「男性はおごるべき」とSNS上で発信することに理由があるのではないか。
そして、「おごってくれたら嬉しい。」という表現ではなく「女性は、男性と食事に行くための自分にお金をかけている。だからおごるべきでしょ。」という押し付けた表現。
「〜すべきだ」というのは、男性がお金を出すのが普通でしょ?出さないなんておかしい、という攻撃的な主張と捉えられてしまいます。
そうなると、「男性がおごるべき」に賛同している男性でさえも、この論争に参戦してしまいたくなりますよね。
反対に女性目線で考えても、女性は子供を産むべき、お上品であるべき、スカートを履くべき笑、などという男性側からの発信は、大きな反感をかってしまうと思います。

様々な価値観を共有する多様性のこの時代、男だからこうあるべき、女だからこうあるべきという表面的な考え方、そして攻撃的な主張は、世間からの批評の的となっても仕方がないのかもしれません。

では何故、女性は「男性がおごるべき」を主張する?

「男性がおごるべき」をSNS等で主張する一部の女性達。その心理について考えてみました。

食事代を男性におごってもらったかどうか、それは特に女性の友人同士の場合、必ず話題に上がるテーマ。「おごってもらった?」と聞かれ、「おごってもらえなかった。」と答えることの惨めさや恥ずかしさ、そして怒りにも似た感情。
また、SNS上や女性同士の会話の中で、男性におごってもらったことを発信しマウントをとりたがる女性もいます。
そういった女性と比べ、自分は女としての価値がないのか、そう悲観的になる女性も少なくはないと思います。

そういった惨めさや恥ずかしさから、
「男性におごってもらえなかった自分」を肯定したいという心理が働くため「男性はおごるべき」という主張に様々な理由を付け、発信するのではないか。

おごらない男性への批判をSNSで共有、拡散することで世の女性から共感を得たい、「男性からおごってもらえなかった経験があるのは、自分だけではないと思いたい。」「おごってもらえなかったのは、自分に価値がないからではなく、男性側がおかしいのだと思いたい。」
そういった心理が隠されているのではないのか。

もちろん、私自身も「男性におごられなかった自分」が惨めに感じたことはあるので、上記のような女性達の気持ちはよく理解できます。
このように考えると、男性におごられなかったことが一部の女性達のコンプレックスとなったり、自己肯定感を下げることへの一因となっているような印象を受けます。

おごるもおごらないも、個性である。

先日、友人と本テーマについて話していた時。
「個人的にはおごってもらったら嬉しいし、おごってもらえなかったら少し悲しいかも。でも女性側からおごってもらうことを求めるのって、なんか違うよね。というか、かっこ悪い。

友人の意見としては、男性がおごるおごらないというのは相手の考え方や気持ちの問題であって、女性側から男性に求めるものではないのでは?ということ。

恋愛関係の場合、おごるおごらないにかかわらず、相手に色々と条件を求めてしまいがちですよね。連絡がまめな人がいい、束縛しないひとがいい、金銭感覚が合う人がいい、容姿が好みの人がいいなど条件をあげていったらきりがありません。
男性におごってほしいという考えも、その女性の個人的な条件にすぎません。
また、本文の冒頭で述べた内閣府の調査結果によれば、「割り勘が良い」という、論争に参戦すらしない女性の方も過半数います。

要は奢りたいか、奢られたいか、割り勘かは、相手の考え方次第=個性、そして受け取り側の好き嫌いの問題となる。

その人の個性や考え方、感情を変えようとすることは、こちら側から相手に強制するものではないですよね。
「男性はおごるべき」という決めつける表現。
表立った「〜すべき」という主張がなくなっていけば、こういった論争は鎮火していくように思います。

おごってもらうことが全てではない、けれど。

色々と綺麗事を言いましたが、私自身はどうか。
「男性からおごってもらえれたら嬉しいし、相手からの好意は少なからず感じる。しかし、相手の人間性までは測りきれない。」

男性が食事代やデート代をおごってくれる。
自分のためにお金や時間を使ってくれる。
その男性に対して頼り甲斐や余裕を感じる、好意が伝わってくるなど相手に良い印象を与えることは事実です。
好意を感じる相手であれば、その男性を好きになったり、お付き合いをしたいと思う可能性も自動的に高くなります。
少なくとも私の周りには、男性におごってもらうことを「嫌だ」と思う女性の友人はいません。
むしろ嬉しく思う友人が過半数です。
※友人はみんなアラサーです。笑

その反面、おごってくれる男性が全て良い人間とは限りません。下心だけでおごってくれる男性、あの時おごってあげたのだからと自らの欲求を要求してくる男性も少なからずいますよね。(もちろん、おごらない男性でも下心がある方はいます。)

おごるおごらないだけで、相手の好意や人間性を図らない。
おごってもらえなかったからといって、自分に価値がないとは思わない。
男性におごってもらうことを当たり前だとは思わず、感謝を忘れないこと。

ただし、これは私の考え方です。
おごらない男性が嫌だということであれば、その考え方を変える必要はない思っています。
それはその人の個性であり、どちらの意見が正しいのかと議論をするつもりはありません。
自分の理想の条件に合わなかった場合、しのごのいわず、もう会わなければいい。笑
むしろ、おごってくれないが条件であれば一度相手と食事に行っただけで、条件に合うか合わないか判断がつくため、わかりやすくて良いと思います。
そして、どんな女性にも、おごってもらえなかった経験は必ずあります。
※私の友人で男性からモテる、めちゃくちゃ可愛くて性格も良い子がいますが、男性からおごられなかったことも、むしろ自分がおごったこともあるよーと言っていました。驚き。
友人に相手におごってもらったかと聞かれ、どうしようもないほど自己肯定感が下がってしまうくらいなら、おごってもらったよ。でももう会わないかな!とサラッと嘘をついてもいいと思います。
誰も傷つきません。

個性や考え方に正解なんてありません。
答えがないからこそ盛り上がる、この不毛な論争。
こんなのもう飽き飽きだ!と思う反面、それぞれの考え方をぶつけあうこと、少し楽しいと感じている自分もいます。
脳の使い方から構造まで違うとされている男女の戦い。決着がつくことは、ないのかも。

最後に。

お読みいただき、
ありがとうございました。🥰
世の女性を敵に回すようなことを書きましたが、
決してそんなつもりはありません!!
不快な思いをされた方、すみません。
私自身も男性におごっていただいたら、
素直に喜びます。

「スキ」、「コメント」とても嬉しいです。
ありがとうございます。

明日からもまた、生きていきましょうね。

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