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三つ子の魂百まで〜幼少期編〜

自己紹介編その2

メンソーレ川端という芸名で活動してから約4年。人前で歌ったり喋ったり……。

幼少期を知る親戚や友人は「なにがあったの?」と首を傾げるしかない。

基本性能は今も昔も変わらないが、チューニングする事により、車も人もアップデートする事が可能なのだ。

そんな幼少期からの変貌をこの機会に綴ってみようと思う。お付き合いください。


誰にも懐かず心を開かない幼少期

とにかく母親以外誰にも懐かない。

喋らない。

心を開かない。

そんな幼少期を送ってきた私だった。


もうひとつの名前【ニックネーム】

当時パップちゃんとスイートおばさんというアニメがあったようで、それに登場するパップちゃんという犬に似ている!という理由で兄がニックネームをつけたことにより、1歳の時から皆に【パップ】と呼ばれるようになったようだ。

それからというもの親兄弟に始まり、親戚、友人、近所の人々に至るまで「パップ」と呼ぶようになり、本名より呼ばれる回数が多い通り名となった。



眼ヂカラ


眼だけギョロギョロさせて、人をジィィーーーと見る(相手の心を読もうとする)癖は今も直っていない。

実際に相手の思ってることを読めているのか読めていないのかはわからないが、母の友人らしき人達の「口ではこう言ってるけど本当はそう思ってない」という程度はわかっていた様な気がする。

嫌な子供だ。


人の眼をジィィーーーっと見てしまう癖は、色んな所で弊害があった。

学生時代の時はよくカラまれたりした。

「なにガンくれてんだ?」

「なんか文句あんのか?」

心の声:いやいや、誰もテメーなんか見てねぇーし!見るんなら女の子見るわぁー!


今も昔もケンカしないのが一番!

眼力で先制攻撃で出鼻を挫く方法も随分行ったし、現在に至っては熱り立つ人にブッダのように悟らせる術も駆使している。


そしてもう一つ。

本業である葬祭業で【葬祭費】などの「打ち合わせ」の時。

カタログ(現在はiPadなど)を見てもらいながら説明をしていくのだが……

あるお客様宅で、

喪主である奥様から思わぬ一言が。

「あまり目を見ないでください」

再度心の声:えぇぇぇーーー!!!


理由を聞くと、その目で見つめられると吸い込まれそうで、なんでも「はい」と答えてしまいそうなんです!とのこと。

そこからどこに目線を置けばいいのか、どうすれば圧を感じないように喋れるのか?という葛藤があったことは言うまでもない。

もしかしたら私には一流の詐欺師になれる素質があるのかもしれない。そんな事も少し頭を過ぎった。


究極の1人遊び

幼少期をそんな感じで過ごし、4歳の幼稚園に入園するまでは家で1人遊びに呆けていた。

ウルトラマンの人形などでひたすら遊ぶのだが、よく見る子供の人形遊びとは一線を画していた。

単なるウルトラマンと怪獣の「ガォー」「シュッワ!」の闘いでは無い。

ストーリーがそこにはあるのだ。
演者であり脚本家であり、そして監督でもあった。

ウルトラマンを視ているとお分かりの通り、怪獣との闘いのシーンは後半のほんの数分程度。

それを忠実に再現し、取り敢えずは変身する前に色んなストーリーを展開、怪獣が登場してからは武器や飛行機で怪獣を攻撃する。

そして危機一髪!どうにもならない!という場面で変身するのだ。


闘いのシーンになっても、すんなりウルトラマンは怪獣をやっつけない。

一度はピンチに陥り、カラータイマーはブルーからレッドシグナルへ。

3度に1度はウルトラマンが倒されて、活動停止になるのも私の特徴だった。


そう、何が好きかってウルトラマンの目(電球)とカラータイマー(電球)が消えた時のウルトラマンが好きなのだ。

これは今も変わらず、その後やってくるガンプラブームでもザクのモノアイ(目)を入れな い、いわゆる電源オフ状態やガンダムが格納されている姿、ダメージを追って動かなくなったモビルスーツが大好物。

この電源オフ状態やダメージによる機動停止状態を好む習性、精神学的には【Power off state syndrome】(電源オフ状態依存症候群)と呼ばれている訳がなく、どういう心理なのかは自分でもわからない。


幼稚園での衝撃

4歳になると幼稚園に入園させられた。

それまで自由に時間に縛られることもなく、気ままに暮らしてきたパップちゃんにとって【時間】というものに拘束される人生最初の出来事だった。

幼稚園では皆同じ制服を着て、同じスモックを着て、同じように声を発し、同じ時間に飯を食うという、私にとっては異次元な空間だった。

カトリック系の幼稚園だったため、昼食時にはお祈りをして「いただきます」と言ってからじゃないとご飯を食べられないのも驚いた。

それを知らずに箸をつけた所、鬼の首を取ったかのように先生や周りから責められ怒られた記憶がある。

このように同じ時間に同じ行動をして同じようにすべてをこなして行く幼稚園は、私にとってストレスでしかなかった。

幼少期を大人と暮らしてきたからか、同い年の子達の幼稚さにも嫌気が指した。

当たり前の事かも知れないが、いわゆる子供らしい無邪気な子供達が沢山いたのだ。

クリスマスには付け髭をした、明らかに用務員のオジサンが扮するクオリティーの低いサンタクロースに一喜一憂している幼稚園児の姿も馬鹿らしかった。

しかし時には「こうすれば大人は喜ぶのか!」と、喜んでみたり無邪気なフリをして大人が「してやったり!」みたいな顔をしているのを冷ややかに見ている時もあった。

こうして思い出しながら書き綴り、改めて見ると本当に嫌な子供だ。


こんな風に幼稚園時代を過ごしていたから、無口な子供は益々無口になり、誰にも心を開かなかったし、友達も出来なかった。(友達になったフリをしている人はいた)




不登校も経験した小学生時代

小学生になってもそんな性格はもちろん変わるわけがない。

幼稚園とは比べ物にならない程のスケジュール管理と集団生活が待っていた。

これは正直「生まれてこなければ良かった」とさえ思った。


人と同じが正義、違う事するのは悪という構図の元、日本の義務教育は成り立っていた。

異を唱える事すら憚られるように感じた。


1年生の時の担任が何気なく言った一言が、私の絶望に拍車をかけた。

「あなた方のお母さんより、毎日先生といる時間のほうが長いんだからね!」

これにはおったまげた。

なるほど睡眠時間を除けばそういう事になるのかも知れない。

しかし、なぜ好きでもない先生と、お母さんより長い時間を過ごさなければならないのだ?

その衝撃の事実が学校生活や教育制度への反感を増長させていったのだろうか。



登校拒否児へ

現在では「不登校児」と呼ばれるようだが、その頃は「登校拒否児」というまるで犯罪者のような語感の呼び名で呼ばれた。

小学校3年生くらいから4年生くらいまで。
(その後も休みがちではあったが……)

一切学校に行かなくなった。

シングルマザーだった母が、夜の商売を始めたのもこの頃であった。


特にイジメに合っていたわけではない。

家で教育TVを見たり、妄想にふけっては1人遊びや絵を描いたりする日々。

学校へ行かない多少の罪悪感はあったかも知れないが、そんなものはこの1人の時間を謳歌できる喜びに打ち消されていた。

後に痛感するのだが、この頃学ぶべき「割り算」「小数点」はじめ基本となるものがすっぽり抜けているので、高校入試の際には基本から覚えなくてはならず苦労したものである。

漢字の書き順なども大人になってから困ったものだ。


ま、そんな事はこの頃の自分には関係ない。


集団行動を学び、社会に出てから困らないように。

基本的な勉強や道徳を学び、今後の進学のために。

一生を共にできる友達を見つけて、人生をより良いものに出来るように。


様々な事を大人から言われ続けてきた。


小学5、6年生は多少は学校に行っていた記憶があるが、何一つ楽しかったと思い出に残るものはない。



友達は近所の犬

先に記述したが、母は夜の商売をしていた。いわゆるスナックのママであった。

夜6時〜7時頃に出勤していく。
幼い頃は寂しくもあったが次第に慣れていき、4つ上の兄も夜になると部屋に籠もるため、居間は自分だけの空間であった。

その頃沢山あったお色気深夜番組も、誰に遠慮する事なく自由に視聴できた。

詳細はあえて書かないが、そのため性への目覚めは同級生より格段に早かった事を覚えている。


その頃近所では、犬を飼っている家が沢山あり、ほとんどが鎖に繋がれることもなく放し飼いであった。ちなみに我が家は飼っていない。


中でも向かいの犬「ジョン」とは特に仲が良かった。まさしく友達であった。

母が仕事に行くと夜9時過ぎ頃に外に出る。

するとジョンがやってきてしばらく外で遊ぶ。

ホタルが飛び交う夏も、雪が降る寒い夜も、いつも外でジョンと戯れていた。

中でも心に残るシーンは
傍らにジョンがいて、私は仰向けになった状態で音もなく空から舞い落ちてくる綿雪を時間が経つのも忘れて、雪が自分達に積もっていくのも気にせず眺めていた場面だ。


今は雪に仰向けになって、あの頃の様に空を眺める心の余裕がないのに気づく。

時折何をするでもなく、ただ空を眺める時間を作りたいものだ。


さて、近所犬達は東と西でグループが別れていた。

東西の集団が向かい合って喧嘩?(吠え合う)中、私とジョンが中間にいて、まるで仲裁するかのような光景もあった。

ジョンはどちらにも属しておらず、もしかしたら東西集団の闘いではなく、私といる事によって弾劾されていたのかも知れない。

しかし、犬達には犬達の社会があるのだな!と、子供ながらに感心していた。


この頃の自分は、ジョンと会話や意思伝達が出来ていて、何も語らずともわかっていた様な気がする。


後に大人になってから愛玩犬と言われるポメラニアンを飼ったが、可愛いのだが【友達】にはなれなかった。


三つ子の魂百まで

幼少期を振り返ってみた。

実に子供らしくない子供であった事がわかる。


こんな小学校生活を経て、中学からはまた別人のような学校生活が始まる事になるのだが、それはまた次の機会に紹介しよう。


タイトルにもある通り、幼少期の自分と今の自分、基本性能は一緒である。

経験によって色んなスキルを身につけて武装して、取り繕って生きている姿が今の自分でしかない。

随分賑やかなイメージの【メンソーレ川端】というキャラクターだが、家に居ると一言も喋らない事も珍しくない、三つ子の魂が脈々と続いている私であった。


自己紹介シリーズ その③
桜華乱舞の中学時代へつづく


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