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松本清張『黒い画集〜証言〜』 差別心とゲイの苦悩

こんにちは。Dです。


先日松本清張ドラマを初めて観ました。番宣でゲイがテーマとなったドラマだったのでちょっとした興味から観てみることにしました。

ネタバレしない程度に要旨を説明すると、主人公であり、医師で幸せな家庭を気づいている石野は、ある事件の被告の唯一のアリバイとなる目撃者となってしまう。しかし、被告を見かけたその時は、若き才能あふれる陶芸家の男と密会をしている最中だったのだ。裁判で証言をすることになるも、男との密会を隠し、医師という地位と家族を失いたくないがためにその時被告には会っていないと偽証してしまう。男色を恥として隠してしまっていた石野は、罪の意識に思い悩む。


ざっとこんな感じでしょうか。思っていた以上にダークなテーマでした。


根深い問題であるのが、「ゲイ=恥」の社会的な認識です。作中でも、子供の頃からゲイであった後ろめたさが殺害の動機となるほど膨れ上がっているのだという脚本になっていました。確かに、マイノリティであることは、マジョリティからの厳しい煽り風を受けることに他なりません。しかし、社会的な不寛容が、作中のように比喩でも何でもなく人を殺すことにつながってしまうのです。

しかし、社会的な不寛容が原因だからといって、実際に存在する差異を無視して全てに寛容になるというのは、理想論でしかありません。

「人間には差別心がある」

そう言われることがあります。これは大きな勘違いです。確かに排他性はあります。しかしそれは人間の本質的な特徴ではないはずです。

例えば、あなたが街中を歩いているとしましょう。そこそこ往来のある道です。歩く人は一人で歩いているかもしれませんし、二人で歩いているかもしれない。男性かもしれないし、女性かもしれない。たくさんの人が街を歩いています。すると向こう側からひとりだけ逆立ちをして街を歩いている人がいます。

あなたはその人を見ないことができるでしょうか。

私は何も意地悪を言っているわけではありません。その人を見る=差別とはならないという主張がしたくなるかもしれません。しかし、逆立ちをしている人を見るということ自体が人間の性質を表しているのです。

人間には差別心があるというのは正確ではありません。

むしろ真逆とも言えるのではないでしょうか。

人間は習慣によって意識しなくなる

これが差別心以前に人間に内在する性質です。これは人間に限ったことでもなく、動物に当然のことかもしれません。

逆立ちをしている人間が突出しているのではありません。むしろ、それ以外の往来をする人に対して圧倒的に無意識となっているのです。

赤ちゃんは何を見るにしても好奇心を持っています。だって、初めて見るんだから。そのまま生活していくと様々なことに慣れが生じてくる。初めてリンゴを見た時は、その赤さに驚くかもしれない。しかし100回も見た後はどうでしょう。リンゴが赤いということは全く意識されなくなります。

このように、人間はどんどん、日常のあらゆるものを「意識しない世界」に追いやっていく性質がある。そこに逆立ちをする人が登場すれば、それは明らかに初めて見るものだ。好奇心が勝って見てしまう。

差別心はこの「見る」という行為の後に発生する。

社会的にありえないだとか、間違っているだとか、そうやって「見る」ことを通して初めて差別が始まる。


最近では状況はもっとひどいと思う。というのは、「あたかも見た気になって」差別心を働かせる人間がいることにある。

多くの場合、ゲイは社会ではほとんど透明な存在となっている。今でこそ徐々に知られてくるようになったが、それでも実体感を伴って存在を感じている人はごく少数だと思う。

かくいう私もよく知らなかったからこそこの業界に入った一人です。

作中でも石野の妻は夫である石野に対して、男色に対して無理解な発言をする。結局これも、異質なものとして見逃せない人間の性質が現れてしまった結果に過ぎません。

本題に戻りましょう。人間には差別心があるから、同性愛差別は理性的にやめてしかるべきだ、という議論はもっともであるかのように聞こえます。確かに差別自体は悪です。しかし、差別の背景にある性質を考えれば、それを全くないものとすることはできないのです。というのも、「見る」ことの以前に発生する性質なのですから、理性でどうにかできるものではないからです。

では差別をなくさないと言っているのかというと全くそうではありません。現実的に差異を認め承認しあう社会ができることが、もっとも実現可能な差別のない社会です。

これ、話し始めると大変な長さになりそうです…

すでに2000字近いのでまたの機会にでも話したいなと思います。


この記事では、ゲイであることの苦悩と、社会的な差別心という圧力が作品の骨組みになっているということで、リベラルでコンサバな見地から非常に考えさせられたということが独り言として記録できればなという思いです。


結局のところ私はノンケなので、いくらゲイの世界を覗いたところで完全に気持ちを理解することは難しいですし、もっと俯瞰して物事を判断したいという思いもあります。

そんな私の一意見がここに記録され流ことの喜びを噛み締めて、反論や共感を期待しながら筆を置きたいと思います。


松本清張ドラマ、面白いので是非見てください。



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