見出し画像

退職前に1ヶ月の有給休暇を使いお遍路旅へ出た。47歳の水無月

前回の記事でも書いたが、6月の1か月間は有給休暇。自由な1か月間。武道館でのライブの為に東京へ行くくらいで他に何も予定はなかった。

折角だから何かしたいと思っていた。


以前から気になっていた四国八十八か所お遍路巡礼。

歩いて回るには1か月弱では無理でも、車で回ればできそうだと思った。以前からお遍路に行きたいと言っていた母も連れて行こう、たまには親孝行もしたい。(と、カッコいいこと言うが半分以上の気持ちは運転するから宿泊代出してください~という甘え。)

アクセス、お寺によりけり。

四国の街中にあるお寺は余裕でたどり着ける。駐車場も整備されていてドライブ気分で車を走らせることができるのだが、山の中のお寺が、まさに修行。そんなお寺が結構ある。
車1台がようやく通れるようなガードレールのない山道をうねりながら走ることも多々。脱輪をすればきっと死。坂道の勾配がキツすぎて、アクセルをべた踏みでもなかなか登らないとか、何度もハンドルの切り返しが必要なヘアピンカーブとか、一難去ってまた一難。車の運転は好きなのだが、この時ばかりは運転が嫌いになりそうだった。
この旅を経て、私は街中しか走れないへなちょこドライバーだと言うことが判明した。山道や農道、未だに苦手だ。

お寺でのルーティン。

お寺に着くと、結構やることが多くて忙しい。手を洗い清めてから鐘をついて本堂の献灯、献香をし、納札を納め、お賽銭を納め、お経。その次に大師堂(弘法大師)で献灯、献香をし、納札を納め、お賽銭を納め、お経。
その後納経所で御朱印をもらうまでが1セット。
この納経所が17時で終わってしまう。16時過ぎにお寺の駐車場に到着して、そこから30分以上は徒歩で山登りしないと到着しないようなところにお寺がある場合は焦る焦る。
しかし、ばたばたの巡礼でも、仕事で慌てふためくような感じではない。お寺の空気や自然に囲まれるせいなのか、お大師さんのおかげなのか、気持ちがゆったりしているので、母も私も終始穏やかだった。その上、お参りの回数を重ねるごとに自分のささくれ立った気持が落ち着いていくのを感じていた。

【当時のつぶやき】
辞めて半月経って。自分で思っていた以上に人間関係で疲れていた。強がって虚勢張っていた。大人だからとか社会人だからとか思って立ち回り、イイ自分を演出することに必死だった。人に気を使い過ぎて疲れてしまった、自業自得。なんだけど自分を責めない。 


色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

お参りを始めた当初は、「健康でいられますように」とか「次の職場がいい人たちでありますように」「幸せになりたい」等、自分のお願い事をしていた。お遍路旅が後半に差しかかるころ気付く。目を閉じ手を合わせてお経を唱えてる時、何も考えていない自分自身に。願い事や悩み事、内なる思いの丈なんかを全く発していない。唱える間「無」になるのだ。
この感じは、清々しいというか、何かに包まれたような安心感というか、静かなる霊験あらたかななにかというか、なんとも形容し難い。語彙力がないからもどかしい。

【当時のつぶやき】
お遍路してると悩みなんてどうでもよくなる。投げやりな気持ちでどうでもよくなるわけではなく、その悩みを考えなくなると言うか、無と言うか、なんか、表現難しいけど。いいのよ、この感じ。好き。

自分自身の変化。

2週間のお遍路を終えて感じたのは自分自身の変化だった。考え方が変わったような気がしている。

【当時のつぶやき】
大事なものとか、大事と思っていたけど案外どうでもよかったり全く不要なこととか。これから後いくら生きるかは知らないけど今後の人生でこの一ヶ月は大きな影響があった。この気付きを与えてくれたことには本当に感謝している。すぐ有給休暇の取得を許可してくれた会社にもありがとうだ。しかし仕事と会社は私を守ってはくれない。心身壊してまでする仕事はこの世にない、と私は考えているまでで、大して私のことを知りもせず上っ面の正論だけを投げてくる他人様がどう考えているかは知らないし知りたくもないし。関わりたくもないや。いろんなものを絶った。そしていろんなことがわかった。人間関係で苦しかったことも何度もあったけど、当時仕事ができていたのはその仕事に対してやりがいがあったから。でももう仕事に魅力を感じなくなったんだわ。不毛な気がして来てなんかアホらしくなったってのも。本当にやりがいを感じて仕事をしていた自分が、いつの頃からか自己顕示欲とかが現れ始めその欲を維持することが仕事となってしまっていた。24時間仕事に支配されている感じが苦しかった。人間関係がどうしようもない所まできていたし、人間関係に疲れてしまった、早い話がそういうことだな。もうすぐ有休消化が終わる。ありがたい一ヶ月だった。逃げ出したとか無責任とかいう人の声が聞こえては来たけど、私は自分の身を守っただけ。優先したのは仕事ではなく自分。会社で実績を残すためには、認められるためには、そんなことばかり考えていた。その結果が自分の首を絞める、これよねぇ。


~余談~

お遍路旅には、現地の美味しいものをいただくと言う醍醐味もあった。特に印象に残ったものたち。
徳島では、鱧、徳島ラーメン。
高知では、カツオの塩たたき、芋けんぴ、さつま揚げ、生姜の佃煮。
愛媛では、鯛ラーメン、トマト。
香川では、釜玉うどん。
1番好きなのは高知かな。食べ物なんでも美味しいし。但し、お寺への山道は激しく険しい。さすが修行の道場と言われるだけある。その修行を終えていただく食べ物だからこそ、更に美味しく感じるのだろう。

お遍路は曼陀羅になぞられて、スタート地点の徳島は発心の道場、高知は修行の道場、愛媛は菩提の道場、香川は涅槃の道場なんですって。ドラクエ?ロールプレイングゲームみたいだ。

走り走りでの巡礼だったけど、貴重な体験だったし大袈裟に言うと自分の生き方のヒントが得られた。
お遍路に何度でも行く人がいる。わかる気がする。もう一度行くとまた違った気付きがあるだろう。定年で仕事を辞めたらもう一度お遍路さん、やりたい。

心が晴れになるから。