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6月第3便:効率的でないすきまに宿る「おかしみ」

To涼花さん

こんにちは。最近こっそり運動を始めているマシュウです。関西は夏の気配もしてきて、とうとうエアコンを付けるようになりました。
そうそう、最近とある学会で発表してきたのですが、なんとなく「研究」の捉え方が自分の中で変わったような気がします。
その学会はかなり分野横断的で、実践的な取り組みを通して、社会課題に向きあっている方もいれば、画びょうやカマドについてひたすら調査をしている方もいました。
様々な大人が集まって、真剣に取り組んできたことをシェアし議論している場は、開かれた井戸端会議のようでもあり、ペーペーの修士学生かつコミュニケーション怖がりな私でも、熱意を持ち寄って人と繋がることができました。
こういう「開かれた場」としての研究はいいなあと思いました。

さて、前回のお手紙では、若者支援の現場で涼花さんが感じたことを起点に、言語化について問いかけていただきました。

「言語化の暴力」、「言語化のフレームから飛び出す、濃い関わりによる気づき」・・・
うんうん、よく分かるなあと思いつつ、どんなお答えをすべきかなかなか思いつかず、ちょっと言葉から離れるために、家にあった「世界の絶景」の写真集を眺めていました。


氷山の写真
氷山

写真からは様々な感覚が呼び起こされます。
例えば氷山の写真を見ていると、なんだか体がひんやりしてきて、澄んだ空気が喉の奥に流れ込むような気がします。
氷は鋭く、固く、ちょっぴり怖くなる。
辺り一面、白い景色が広がり、食べたら美味しそうだなとか思ったりする。

一度写真集を閉じてみます。
表紙には題名が、帯にはキャッチコピーが書かれています。
写真を中心とした言語のない世界から、言葉の世界に戻ってきました。

そこで思ったのは、「言葉はカチコチしていて、余白があまりないのでは?」ということです。
さっきまで、写真を介してあんなにも美しく広がっていた世界が、急に縮こまったような気持ちです。
もう少し具体的に言うと、言葉が指し示す意味は直接的なので、読み手の解釈の余地があまりない、ということです。
例えば私が「りんご」と言ったとき、読み手の皆さんが思い浮かべるのは、赤くて丸いフルーツに制限されます。(これを非恣意性といったりするわけですが…)
もちろん、このような言葉の特徴は、的確に意味を伝えられるという点では強みです。
しかし、あまりにも直接的で鋭いので、暴力的なコミュニケーションになってしまうこともあります。
また、せっかく濃い関わり合いができているにもかかわらず、伝えられることは限定的になってしまうわけです。

うーん、せっかくあんなにも美しい世界だったのに、なんだってこんなにカチコチしちゃうんだよ~と思いつつ、、、ではカチコチした言葉の世界と、すきま(あるいは余白)のある世界をどう繋げばいいのか…。
涼花さんはこんなふうに提案してくださっています。

【まず効率を求めないという姿勢かなと思います。”わかりにくさ”を受容して時間をかけること】

確かに効率的に物事を進めるために、意味をなるべく制限しようと「言葉」が使われているのならば、その姿勢をまずは問うことが必要です。
すでに「効率的でない」世界を持っている方、「わかりにくさ」を受け止めるテンポを持っている方は、それらは「大切に守られるべきもの」だと信じてほしいなと思います。

一方で、残念ながら社会のほとんどは「効率的」であることを目指す、テンポの速い世界かもしれません。そんな中でどうやって「効率的でない」世界を守るのか…。
正解は分かりませんが、私はひとまず「効率的でなくてもいい世界」を少しでも守るためのしくみを作ってみようと思います。
たとえば、15分だけでも仕事場でお茶の時間を設けて、そこでは効率的でないコミュニケーションをゆっくりしてみる、とか。
人と接するときに、言葉の内容が分からなくても、まずは相づちを打ちながら、表情やしぐさの変化を観察してみるとか。
そういったしくみに身を委ねつつ、わからなさを受け止めつづけると、
「まあ分からないけど、ちょっと待ってみるか~」
というテンポが醸成されていくのではないでしょうか。
このテンポを私は「森へ帰る」とひそかに呼んでいたりします。

なんだか長々と書きましたが、ふと、
「そもそも効率的でないものから生まれたものってめちゃくちゃ面白いのになあ」
と沸き立つ思いに気づきました。
そういうところに、息苦しくて窮屈な社会を生きのびる「おかしみ」が宿っているんではないでしょうか。

ひらめいた女性のイラスト
そっか!

だって、地面に格子状の線を引いて、○と×を書いたら遊びになるって気づいた人は、多分全然効率的ではない時間の中でそれを思いついているし。

なんだかよく分からないけど、朝まで一緒に歩いたり語り合ったりしたいなあと思った時間が友情や愛情を育むのかもしれないし。

どんな意味があるのか分からないけど、紙を集め続けた人が製紙業の歴史を紐解く鍵を見つけるかも知れないし。

そういうの、面白いなあって思うんですよね。
そして、こういうすきまに宿る「おかしみ」が確実に私を生かしていると思います。
これを言語化するのが大学院生のおしごとですね…道のりは長そうです…

最後はなんだか泣き言みたいになってしまいましたが、ここで涼花さんにバトンタッチしたいと思います。
いやほんとにぶん投げちゃってごめんなさい笑

次回も自由なお返事を綴っていただければうれしいです。
お待ちしてます!

From マシュウ

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