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7月第2便:レジリエンスと「逃げ延びる」ことのあいだで

To涼花さん

暑いです…。湿度が高くて毎日ウルウルの中を生きています。
きゅうり料理のレパートリーを増やして、美味しく水分補給していきたい今日この頃です。

さて、涼花さん。
1週遅れのお返事になってしまいすみません!

どうしたら「関わらない・避ける・同様の価値観の人とだけ群れる」ことが乗り越えられるのか、とても難しく考えがいのある深い問いを投げかけてくださいましたね。

今回は、しんどさを抱える当事者としてお答えしていきたいと思います。

残念ながら、私はあらゆることに敏感で、特に言葉の鋭さには過敏に反応してしまいます。ですので、投げやりなコミュニケーションを取られたり、自分に対してでなくても、他者に冷たい言葉を投げかける人には心を開けなくなってしまいます。
例えば、上司が先輩に対してずっと怒っていたり、責めている職場にはいられなくなってしまいました。

また、過去のつらい出来事を反芻してしまう癖があり、以前私に対して暴力的な振る舞いをした人は許せず避けてしまうし、そういった人と同じ「ニオイ」を感じる人の前では緊張し、避けてしまう傾向があります。
(自分もそういう加害をしてきたかもしれないことにも落ち込みます)

このような人間関係におけるコンフリクト(衝突、困りごと)が生じたとき、私はいつも自分の「我慢してやり過ごす能力=レジリエンス」と「逃げ延びること」のあいだで戸惑います。

元々敏感な私は、「レジリエンス=我慢してやり過ごす能力」が人より低いんだと思います。
困りごとや衝突はレジリエンスを成長させるいい機会だとも捉えられます。
いや、こう書いてて、「我慢」「能力」「成長」と、なかなかしんどい言葉ばかり並んでいますね笑
でもレジリエンスは決して悪者ではなくて、自分が大切にしたい人や環境を長く守り続けるために必要な「要素」ともいえます。
涼花さんの事例に照らすと、利用者さんに対して、「一緒にゲームをしている人を大切にするために、少し落ち着いてみよう」と声をかけることは、レジリエンスを伸ばす助けになるでしょうか…?
助けになるかもしれません。でも、これはかなり「個人モデル」(障害などの困りごとの原因は個人の中にあって、それを改善すべきという考え)に寄った考え方で、完全に肯定はできないというのが私の本心です。

耐えてやり過ごす前に心が壊れてしまうのは、とても悲しいし悔しいことです。
だからこそ「逃げ延びる」ことは何よりも大切だと私は思っています。

一方で、「どこまでが我慢すべきラインで、どこからが逃げたほうがいいラインなんだろう」といつもぐるぐる悩んでいます。
個人モデルと社会モデル(障害などは個人ではなく社会にあるという考え方)、どちらにも振り切れないでいます。
ぐるぐるしている間にあっという間に心も体もクタクタになって、動けなくなることが多いので、やっぱり逃げたほうがいいんだとも思います。

じゃあやっぱり「関わらない・避ける・同様の価値観の人とだけ群れる」しかないってコト?!
と諦めモードになりそうですが、そんなこともないと思います。

一度結ばれた人と人のあいだのつながりは、良くも悪くもそんなに容易く切れることはありません。
ちょっと今は対峙するとよくない方向に行くな、とか、
今は会うのしんどいな、とか、
そういうタイミングには相手と距離を取ったり、関わり方の濃淡を変えたりすることもあります。
でも、つながりってハサミで切ったみたいにぷつりとは切れない(切ることができない)です。

同じコミュニティの別の人に合えば、その人のことを話題にして思い出すかもしれないし、その人と買いに行った物が手元に残っていれば、それを見て思い出すかもしれません。

そして、数年後に会うとすごく上手くいったり、離れてオンラインや手紙のやり取りをしていると上手くいったり、「つながり方、接し方のいい塩梅」を見つけていくような気がします。

涼花さんの現場は限られた空間、コミュニティなので、「一度距離を置く」ことは難しいかもしれませんが、例えば一度別のゲームをする、ゲームはやめて音楽を聴く、手仕事をするなど、相手や衝突から気をそらすことはできるかもしれません。

たぶん、レジリエンスなんて大きな言葉ではなくて、「気をそらす」くらいのことをしたらいいんですね。

気をそらしてもそらしても、つらい時は逃げ延びること、大切ですね。

今回は私自身も迷いの渦中にいる人間としてつらつらと書いてみました。
涼花さんからも自由なお返事をお待ちしています!

熱中症に気をつけて、夏の「楽しみ」がちょっとでも見つかったらいいな!

Fromマシュウ

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