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8月特急便②:あなた/わたしの「世界」の交差点で

To涼花さん

お久しぶりです。お返事にとても時間がかかってしまいました。お待たせしてすみません。
私が少し体調を崩してしまったのもありますが、前回のお返事を大切に書きたいと思っているうちに、あっという間に時間が経っていました。

前回、涼花さんはフジロックでの体験を経て、こんな問いかけをしてくださいました。

「当たり前」の中に幸せがあるなんていうことはよく言いますが、それにどうやって気づき、どのように守っていくことが私たちにはできるのでしょうか。そして、他人のそれをどれだけ尊重することができるのか、おこがましいけれどどうやって与えることができるのでしょうか?

「当たり前」ってなんだろうと、ずっと考えていました。
そんな折、自分で自分を大切にすることがとても難しくなってしまい、
「自分を大切にする」ってひょっとしたら当たり前のことなのかもしれないけれど、とても難しいな、という問いに移っていきました。

どうしたら自分を大切にする、ことを当たり前だと思えるのか…
なかなか答えはでないので、代わりに「自分にとって当たり前のこと」=「わたしの世界」をどうやって守れるのか、そして、「誰かの世界」をどう守れるのかについて考えてみたいと思います。

「わたし/あなたの世界」って、なんでしょう?
わたし/あなたの好きなもの
わたし/あなたの大切にしているもの
わたし/あなたの作り出したもの
わたし/あなたの表現
わたし/あなたの言葉

そういうものの総体が「わたし/あなたの世界」なのだと思います。

例えば、「私はこんなふうに言葉を生み出している」「私はこんな音楽が大好き」そんな言葉を聞くと、私はその人の世界に触れられたような気がして、とてもワクワクします。

けれど、そういう「世界」は守られず、傷つけられることがたくさんあります。
好きなものや作ったもの、考えていることを冷笑的に冷やかされる。
尊重されず、「変だ」と言われる。
そんな冷たい風に晒されながら、私たちはどうやって自分たちの「世界」を守れるのか…。
あなたの「世界」は周りの評価とは一切関係なく、尊いものだと、どうしたら伝えられるのか…。

守れず、伝えられず、悔しい気持ち、悲しい気持ちがたくさんあります。
また、私も誰かの世界を傷つけてしまったことがあるかもしれないと、ハッとすることもあります。

暗い雨雲に覆われた山と川

現代人類学では、他者の文化を何かの基準に沿って分析・考察するのではなく、それぞれの固有の世界があるのだと考える視点を「存在論」的理解と呼びます。
(もし認識間違ってたらご指摘ください〜!!)

あなたの「世界」は、この基準から考えると「A」ですね、ではなく、淡々と「それがあなたの世界なんですね」という立場。
ある意味民俗学的な在り方とも言えるかもしれません。

もちろん、こういう立場であると、「世界」同士の衝突については扱うことが難しいので、問題もあるといえばあるのですが、
まずは、「それがあなたの世界なんだね」と受け止めること、
そして、異なる世界の交わりを楽しむこと
それがとても大事なのではないかと思います。
だって、異なる世界を受け止めて、交わり合うのは意外と難しいから。

あなたはどんな「世界」を持っていますか?
周りの人全員でなくても、誰かからはその「世界」が守られる場があるから大丈夫だよ、と言いたいです。
でも、そう思えないかもしれない。そう思えないのはあなたのせいじゃないし、そう思える社会を作れていない大人として申し訳ない気持ちにもなります。
私自身もわたしの「世界」を守るのはとても難しいけれど、例えば、好きな言葉をひとつだけこっそり心に持ったり、泣いてしまうくらい好きな音楽を聴いたり、そういうところから「世界」を作っていこうと思います。

なんだか今日は色々な思いが溢れてきましたね。
涼花さんは、自分や誰かの「当たり前」=「世界」が交わる瞬間をどんなふうに感じていますか?
この答えでなくても、自由なお返事をお待ちしています!


Fromマシュウ

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