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あなたの生きづらさはどこから?私は「ままならなさ」から!

こんにちは。最近低気圧の襲来と花粉症のダブルコンボで参ってます…泣
無理せず過ごしたいですね~

さてさて、今日のテーマは「ままならなさ」
前回の記事で「違い」に興味があると言っていたのですが、「違い」というより「ままならなさ」のほうが表現したいニュアンスに近いのでは?と最近気づきました。

というのも、少し前に友人と普段モヤモヤしていることなど、考えたいことを夜通し語るイベントをしたのですが、そこで意図せず頻繁に口にしていたのが「ままならなさ」というワードでした。

(こういうイベントを一緒にしてくれる友人がいて幸せだな~としみじみ)

でも、そもそも「ままならなさ」ってなんだろう…?

1.「ままならなさ」とは(ざっくりバージョン)

「不確実性」と言いかえてもいいかもしれません。

どうしてこんなにも生きづらくしんどい人がたくさんいるのだろう…?
あなたの生きづらさはどこから?(ベ〇ザブロック♪)
とかいろいろ考えたとき、その根っこにあるのは「違い」なのかなと思ってたんです。

他人は違うことが当たり前なのに、社会や国の都合で同じ生き方をせざるを得なかったり…。
「同じ」であることを要請されるうちに、そのうち自分と違う人を排除しようとしたり…。
障害などの「違い」があることで、日々の選択肢が減ってしまったり…。

だから「違うことが当たり前」を感じられ、物理的・心理的にバリアフリーな世の中になっていれば少しは生きやすくなるのかな~と思った私に新たな疑問が。

なんだか「違い」って大仰(おおぎょう)だなあ~

人と違うって思ってなくても、しんどいときあるよね?
「私はこんなふうに違うのでしんどいです~!」って言わなきゃいけない、それもまたしんどくない?
「しんどさの証明」がいらない世界戦ないのかな?

なんかこう、そんな大げさじゃなくても「しんど~」っていうときあるよね。

と思って行きついたのが、「ままならなさ」という言葉でした。

思い通りにいかない「不確実性」。

しんどい毎日から抜け出せるのか分からない「不確実性」。

そんな「ままならなさ」を抱えて、しんどいな~と思うのかもしれません。

2.身の回りの「ままならなさ」を言葉にしてみる

意外と自分の「ままならなさ」を説明するのって難しいです。

自分の中のモヤモヤを言葉にするのはただでさえ難しいうえに、ままならない自分と対峙すると色んな感情が沸き上がってきます。
もう感情の大洪水。

ということで、とりあえず身近なところから言葉にしてみる。

たとえば、今私はちょっと休憩したいな~と思ってベッドにダイブしようとしたのですが、今日畳んだ洗濯物が置いたままでダイブできませんでした。
思わず「片付けとけよ~」と過去の自分にツッコミました。

そう、私は片付けが苦手なのです。
だらしないな~と恥ずかしくもなるし、いつか誰かと一緒に住むことがあったらやっていけるのだろうか?と心配にもなるし、掃除は好きなのに片付けは苦手な自分の意味不明さが可笑しくもなります。

ほかにも「ままならなさ」に直面するシーンは多々あります。

私は持病の発作が出ているときは、もう「ままならなさ」がてんこ盛り。

※持病・障害についてはこの記事をお読みください~

トイレまで体支えてもらって申し訳ないな…。
(しかもこういう時に限ってトイレにすごく行きたくなる)
なんでこんな発作が出ているんだろう…。
仕事できるかな…。
いつまで続くんだろう…。

やっぱりこういうのって「ままならない」っていうのかなと思います。

みなさんご自身や周りにもたくさんの「ままならない」があるかもしれません。

好きな人と両想いになれない。
両想いになっても添い遂げられるか分からない。

好きなことを仕事に選べない。

年を重ねて好きなものを忘れてしまう。

色んな「ままならなさ」を抱えてもなお生きているのが人間で、それが人間っぽいということではないのかなとも思います。

3.「違い」と「ままならなさ」はどう異なる?

こういう「ままならなさ」って、まわりまわると「人と違う」ってこと同じじゃないの?

確かに、人との比較で「自分は違うのか~ままならないな~」と思う場面もあるかもしれません。
でも、私の肌感覚ではちょっとニュアンスが違うのです。

「違い」というのは所与のもの、つまり、「そこにあるもの」「揺るがない与えられたもの」という感じ。
「人間にはどうしようもないこと」と言い換えてもいいかもしれません。

対して「ままならなさ」は、人間がその「ままならなさ」という存在や感覚をいくらでも捉えなおすことができる余白があるのではないかと感じています。

たとえば、神のひと声で「はい!今から人間はぜ~んぶ同じに作っちゃうよ~ん」みたいなことが起きて、「違い」がなくなったとしても「ままならなさ」はあるんだろうな~と思うんです。

だから不幸比べはあまり意味がないのかもしれません。

性別の違いで不公平なことや不条理なことはもちろんあるんだけど、「はい!今からみ~んな性別なし!同じ体の作りにしちゃうし、社会的な役割も一緒!」ってなっても「ままならなさ」は残ると思います。

客観的な「違い」と「ままならなさ」はやはり別のものということです。

4.じゃあもう人間みんなつらいじゃん?!

というオチで決してはなく…。

「ままならなさ」と人間が切っても切れない関係にあるとしたら、私たちはどうしたらいいのだろう?

まず、多かれ少なかれ人間は「ままならなさ」を感じながら生きていますが、そんな人間が生きづらさと付き合っていくには大まかに2つ道があると思います。

ひとつは「ままならなさ」を克服するか、見ないふりをすること。

自分の中で「ままならなさ」をなるべく小さな存在にするんです。
それかむしろめちゃくちゃ大きく捉えて強みに再定義するとか。

これが恐らく今の社会では主流の生き方なのかなもしれないです。
そうできるように、分かりやすく社会が作られています。
だから自己啓発本やビジネス書はめちゃくちゃ売れるし、何かで勝ち残った人がキラキラとメディアで描かれる。

もうひとつは「ままならなさ」を許すこと。

自分や他者の中に「ままならなさ」を残したままにする。
ひっそりと、でもしっかりと自分の中の隅っこに「ままならなさ」を体育座りさせたまま暮らしていく。
もしくはもっと激しく、「ままならなさ」と日々ケンカをしながら暮らしていくのかもしれません。

私は前者の道はできない人もいるし、万能ではないと思っています。
だから後者の道を選びたいし、そのほうが人間っぽいなと思います。

3.「違い」と「ままならなさ」はどう異なる?でも書いた通り、「違い」をなくしても「ままならなさ」は残ります。
つまり、「ままならなさ」を小さな存在にしようとどんなに完璧を目指しても、なくなることはないということです。

それは虚しいし、いつか限界がくる気がしてならない。

「ままならなさ」をそんなに日々感じない人もいるかもしれないけれど、そのためには鈍感力みたいなものが必要で…。
それがなかなか人によっては鈍感でいるのが難しいこともあると思います。

じゃあみんな「ままならなさ」を抱えたまま生きていけるのか、というと、今の世の中は「『ままならなさ』をできるだけなくしていこう!」が主流なので、「ままならなさ」を抱えたまま生きるのは、生きづらいことこのうえないです。

だからもっと「ままならなさ」が許される場所が増えれば…、1つでもそういう居場所があれば人間は生きていけるし、そういう居場所を作っていきたいなと思っています。

5.ままならなくても大丈夫だよ

なんだかちょっぴり不安な気持ちになってきました。

でも、もしこれを同じく不安な気持ちで見ている人がいたら、

「ままならなくても大丈夫だよ」

と言い合いながらお茶でも飲みたいです。

生きていて大丈夫と思えない場面もありますが、やっぱり「大丈夫だよ」と信じることは、不確実性を帯びたままならない人間として生きていくうえでは大切なことなのではないでしょうか。

今日はなんだかしっとりした記事になってしまいました。
『BEASTARS』イッキ読みしたせいかな。

「ままならなさ」についてはまだまだ手探りです。
ぜひいろんな方と意見交換できますと嬉しいです~

おまけ.問いのきっかけたち

「ままならなさ」について考えるきっかけとなったものの一部をまとめてみました。
素敵なものばかりなので、ぜひ読んだり観たり聞いてみてください~

【本】

●『オープンダイアローグとは何か』,斎藤環(医学書院)

●『ないようであるかもしれない』,星野概念(ミシマ社)

【映画】

●『パーマネント野ばら』

【音楽】

●『目抜き通り』,椎名林檎とトータス松本
(歌詞に最後まで注目!)

今回は短めに…と思っていたのに結局長くなってしまいました!
みなさま素敵な週末をお過ごしください~。


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