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2020 Ikuko Morozumi 時の崖[CROSS TALK]

2020年に公開された「Tokinogake」Ikuko Morozumiロングインタビューです。

[最新の動き] 今年(2020年)5月にDouggaをリリース、この作品が生まれた経緯をお聞かせください。(ver 2.0も含めた流れをお聞きしたいです)

最初は音源の整理から始まりました。ケーキの切れ端的な中途半端な音源がたくさんあって、捨てようかどうしようか悩んでいたんですね。リリースもできないようなノイズ音源とか昔作った下手くそな音源とか。

それで、試しにその音源に何かをプラスして型にしたらいいんじゃないかと思い始めたんです。ボツ作を中心にして後からキックやスネア、ノイズや色々なものを加えてみたら見事にごった煮のような音源ができてしまって。

あまりにもごちゃごちゃした音だったので、マスターにM4Lとか入れて全体を統一させるためのエフェクトを入れてなんとなくそれらしい音源になったな。。みたいな感じになりました。殆ど何も考えずに制作してましたね。

私は制作の前にリラックスしてからじゃないととあまり良いアイデアが浮かばないので、丁度コロナ自粛の時期だったので、コンセプトとか考えずにありのままでいいやって。
多分、今までの作品の中で一番適当に作ったものだと思います笑。
やけくそ的な。いいや、この際思いっきり振り切っちゃえって。
振り切ったら振り切ったでかなりクレイジー感も出るし、でも今回で振り切り過ぎたからもう振り切ることに飽きましたね。

「Dougga 2.0」を制作したのは、あまりにもミックスが酷いのと、時間軸のズレが大きすぎてそれを直すために作り直しをしました。
ズレてて面白い楽曲もポリリズム的な感じになって良い時もあるのですが、あまりにも違和感があって「ああ、やり直そう」という感じになりました。

たまたまなんですが、いつもお世話になっているスペインのラジオ局のCEOから連絡が来て、「Dougga」のインタビューがしたいと言われたんです。タイミング良く音源を無料でCDにしてもいいよと言われたので、だったらフルアルバムにしようと思って。なので、ミックス・パンニング・ズレの調整+新しく3曲ほど新曲を追加しました。

最後の曲も、たまたまシドニーでのコンピレーション用に制作したものだったのですが、レーベル側がめちゃくちゃ細かく修正の依頼をしてきたので、ボランティアでそこまで修正できないからと言って断った作品なんです。

05-Spiral Version 1​.​0
11-Forgotten Version 1​.​0
12-OR​-​Invert Version 1​.​0

1,0と書いてあるものが新曲です。12曲目が元々コンピレーション用に作ったトラックです。


1.今、どんな音楽に熱狂していますか? URLをご準備いただければ幸いです。5つほどお聞かせください。

1-オーケストラ
2-ボサノバ
3-アコースティックブルース
4-シティ・ポップ・80年代歌謡曲

もっとありますがこんな感じでしょうか。

クラシック・オーケストラ・ピアノ
サミュエル・バーバー
「弦楽器のためのアダージョ」

サミュエル・バーバーは元々弦楽器の曲しか知らなかったのです。
で、最近サミュエル・バーバーのピアノ曲を聴くようになったのですが、
めちゃくちゃ現代音楽なんですよ。前衛的なピアノという感じがします。
楽譜も載っているので楽譜もみながら楽しんでいただけると嬉しいです。


「Samuel Barber - Piano Sonata」


ボサノバ
トム・ジョビン「イパネマの娘」


エディット・ピアフ「ラ・ヴィァン・ローズ」


サパトスがボサノバでカバーしているのが好きで、朝の犬の散歩の時とか聞いてます。


サパトスのこのミックスリストはおすすめです


アコースティックブルース
エリック・クラプトン「Layla」



Stevie Ray Vaughan

これからチャレンジしてみたい・作ってみたいなーという曲です。

シティ・ポップ・80年代歌謡曲
山下達郎「高気圧ガール」

備考
ナイトシティジャジーヒップホップ【作業用・勉強用・読書用BGM】大人のジャズビート

Sabi / Glued on Thin Memories


world's end girlfriend - Les Enfants du Paradis (MUSIC VIDEO) from"SEVEN IDIOTS"

2.過去自分に影響を与えてきた音楽を教えてください。同じくURLをお願いします。これも5つほどお聞かせください。

1.エアロスミス
「Aerosmith - Angel」

小学5、6年生の時、当時「ベストヒットUSA」とい番組があって、それでこのMVを見たのですが、サビで衝撃が走りました。
スティーブン・タイラーにエンジェルが舞い降りてくる部分に感動して、それから大ファンです。
大人になってから東京ドームに来日公演を見に行ったのですが、
私の大好きな3曲「Dream On」「Angel」「I Don't Want to Miss a Thing」を演奏してくれて号泣しました。
「I Don't Want to Miss a Thing」はアルマゲドンの曲なので皆さんおなじみだと思います。

6歳上に兄がいて、兄がロックバンドでギターを弾いていたんです。私が11歳の時、兄から突然「ギター弾いてみろ」って言われて。
なんで?って思ったのですが、兄曰く「11歳からギターを弾けば将来立派なギタリストになれるから」という理由だったらしいのですが、
弾く曲が毎回マイケルシェンカーなんですよ。全然嬉しくもなんともなくて。
当時はギターの速弾きが流行っていた頃で、ヴァンヘイレンとかRATとかドッケンとかのHM/HRを教え込まれました。
でも面白くなかったのでやめちゃいましたけどね。アリアプロⅡはもらえましたが。

昨日までチェッカーズとか中森明菜とか聞いていた小学生が突然HM/HRの世界に入って、
兄がHM/HRを聴いていると影響されてやっぱり聴きたくなって聴いてましたね。ものすごく流行ってました。
エアロスミスもそれから大ファンになって。今でも大好きです。

「Dream On」


「I Don't Want to Miss a Thing」


ちなみに超かっこいいMVが2つあるので紹介します。
「Jaded」


「Pink」

2.BOOWY(布袋寅泰)
「BABY ACTION」


“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986 のアルバムを兄が自宅の茶の間で聴いていて、
私は中学1年生だったのですが、「BABY ACTION」という曲の「オマエに今もFeel in love tonight」部分のギターコード
「Dm7 / C#m7 / F#m」ここにやられてしまい、そこからBOOWYのコピーバンドを組みました。マイナーセブンス超かっこいい....!みたいな。

BOOWYは私が音楽を作るきっかけを作ったバンドで、中学2年の時に生まれて初めてバンドを組んだのですが、
女の子3人しかいなくて、しかも同じ吹奏楽部の3人で組みました。
私は吹奏楽部でホルンを担当していたのですが、1年の時は真剣にやってましたが2年になってバンドに夢中になりすぎて、
吹奏楽部の部室にはアコースティックギターがたくさんあって、「ギター弾き放題じゃん!」ってなって。部活やらないでずっと部室でギター弾いてましたね。
授業中も毎日エフェクターをどうつないだら布袋さんみたくかっこいい音がでるのか、机の上にエフェクターの配線図を書きまくってました。ギターを担当していましたが後にベース担当になりました。で、ドラムがいなくてドラムは適当に足踏みしたりしてリズム取ってましたね。部室ではよく友人が私のギターを聴きにきてくれていましたよ。
超田舎にそんなパンクな女の子なんていなかったので、珍しかったのだと思います。

ダンスミュージックにはまったのがケミカルブラザーズでした。
「Dig Your Own Hole」はものすごく聴いてました。1997年頃、長野で広告代理店でアルバイトをしていて、
CG検定を受けに行く電車の中で聴いていた思い出がすごくあります。
CG検定は落ちましたが、落ちたおかげでデザインじゃなく音楽の道を進むことになったきっかけでもあります。
リズム感というものをを意識しはじめたのがケミカルブラザーズだったんです。

3.ケミカルブラザーズ
「Setting Sun」

アルバム「Dig Your Own Hole」


4.ビョーク
「björk : jóga」
1997年くらいににたまたま宇多田ヒカルの「Automatic」のとなりに試聴コーナーがあって、
それが「Homogenic」のアルバムだったんです。
そこで初めて「jóga」を聴いて、速攻でアルバムを買いました。
「jóga」のイントロはストリングスなのに、急にリズムが入ってくるのですが、
このリズムの感覚が忘れられずここから電子音楽を作るようになりました。
約21年くらい前です。

5.Yporigami(Yu Miyashita)
「Loops 1.0 / Loop 1.02」


「Noble Niche 」 Yu Miyashita



完全に今の私のスタイルを作ったのはYporigamiさんですね。
Hz Recordsが大好きで、Yaporigamさんの音楽聴きまくってました。特にLoopシリーズが一番好きです。
キックの強さがかかっこよくて、そこからキックばかり作るようになって、やっと自分らしいキックが作れるようになるまで6~7年かかりました。Yu Miyashita名義の「Noble Niche」を聴いた時は涙がでました。
こんなに情緒あふれるノイズがあったのか。。と。
「Homage」も素晴らしくて。
ノイズ聴いて涙出るってあまりないですよね。彼はそういう心を揺らすノイズを作ることができる唯一の方だと思っています。


3.「自分も音楽制作を始めよう」と思ったきっかけはありましたか?それはどんなことでしたか?

音楽制作を始めようとなったのはバンドを組んでコピーをやめた時でした。
多分25~26歳とかそのあたりです。結構遅いですよね。
バンドでキーボード担当していたのですが、オリジナルを演奏することになって、元々プロデューサーがいるバンドだったのでオリジナル曲は誰か他の方が作ってくださって。
でも、楽譜が無くて仕方ないのでボーカル・ギター・ベースの楽譜を全部私が制作することになったんです。
ギターとベースはタブ譜で。ドラムは元々入っていたのでそのままコピーしてもらいました。

当時、楽器店でアルバイトをしていたのですが、お店が小さくて結構暇な時間が多かったんです。
で、キーボード演奏用に持っていた「Roland XP-50」というシンセサイザーだけで空き時間(殆ど空き時間)に曲を作るようになりました。3.5インチフロッピーに録音ができるようになっていたので、いろんな楽器を落ち込んでMIDIにしてフロッピーにたくさん曲を作ってましたね。

1996年~1997年あたりからソロになったのですが、当時はDAWが無かったので、Singer Song Writerとかミュージ郎、レコンポーザとかで曲を作っていました。
世の中のインターネットがまだテレホーダイの時代です。夜の11時~朝7時までがインターネットに繋げられる時代。
その後、MP3とか出てきてやっと自分の曲をネットで披露できるようになってきたんです。
でも当時は音源って自分のホームページに載せるしか披露できる方法がなくて、
仕方ないから自宅にRed Hat Lunaxでサーバーを作って24時間サーバーで音楽を聴けるようにしたんです。

そのあたりから「Cakewalk pro Aoudio」というシーケンスソフトを使用するようになりました。
でもMIDIしか使えないので、オーディオは「ACID」を使ってめちゃくちゃめんどくさい作曲をしてました。
KORGのD-12というMTRを買ってそれに録音して最終的にまたPCに戻すということを繰り返してました。
オプティカルとコアキシャルを変換するプラグが必要だったり、サウンドカードをM-Audioに変えたりしなきゃいけなくて。
当時はギターとジャズベースも数本持っていて、RODE NT3とベリンガーのアナログミキサーを使ってめちゃポップな曲とかアコースティックサウンドを作っていました。
音源はSC-8820のみ。あとはギターとベースをRECして、ボーカリストの方に歌ってもらったり自分で歌ったりしてました。
当時の音源もまだありますよ。

2000年に「CIX」という初めてネットバンドというもののプロジェクトを開始しました。
メンバーが3人で、曲を作ってネットの中でデータのやり取りをしてということをしていました。
そのあとネットでユニットを組んだりもしましたね。ロックとかR&Bとかポップスとかそのあたりの音楽を作っていました。

2000年頃からやっとネットでの音楽配信サービスが始まって、
「マイメロディー(muzie)」へ曲の登録をして制作した音楽を聴いてもらえるようになりました。
「anya」という女性限定の音楽サイトまでできて、そこで出会ったのがデビュー前の少年ナイフのベースのリツコちゃんでした。
彼女とは2曲くらいコラボしたりもしました。
そのあとは音楽事務所からのコンペばかりやっていました。1週間に10曲くらい作ってCDで送ってみたいな。。気が狂いそうでした。
採用されたことはありませんでしたが。

2002年~2003年頃、たまたまネットで見つけた「東京幻想倶楽部」という自主制映画を作っている主催の方と知り合って、
映画の音楽作りたいと言ったら、是非作ってほしいと言われたのでそこから映画の音楽を作りはじめました。
駆け出しグラビアアイドルのイメージビデオの曲とかも作ってました。報酬は1万円とか、食事おごってもらうとかそんな感じでしたね。

でもまだ息子も小学生で小さかったので、家事と育児をしながらの制作だったのでとにかく体力的にも精神的にも辛くて、
とりあえず育児が終わるまでは音楽制作は厳しいかなーと、7年くらい主婦業に専念していました。
で、たまたまですが、友人が自宅に来て泊まっていってボーカルRECとかして、で、その帰りにその友人が自殺しちゃったんですよね。
なんでだろうー?って思ってましたが、やっぱそれも音楽制作を休止するきっかけになってしまって。
無気力感がずっとありました。7年間音楽制作には触れないでいました。

2011年に東日本大震災があって、自分の実家の岩手が津波被害にあったんです。で、そのころからツイッターを始めていて。
無気力になってしまって、でも何か自分にできることはないのかな?ってずっと考えていたんです。
その時、布袋さんがまだツイッターをやっていた時で、私、布袋さんにリプを送ってみたんですね。
「私は気力がなくなって、何をどうしたらいいのでしょうか?」みたいなことを布袋さんへ送ったら、なんとメッセージが来たんです。
「できることから始めるといいですよ。ひとつひとつできることから始めましょう」って返事が来たんです。
もう嬉しくて嬉しくて。それからRoland QUAD-CAPTUREを買って、付属のSONARでまた作曲もはじめました。
機材とか全部売っちゃったのですが、オーディオインターフェースとDAWがあったのでたくさん曲が作れるようになりました。

布袋さんから14歳の時に音楽を始めるきっかけをもらって、30過ぎて音楽を再開するきっかけをもらったんです。
もう神様のような存在ですよ。私の音楽の神様です。

その後に「分解系なお茶会」に参加し始めて。丁度Smanyさんのデビューの時でしたね。
ラストオーダーさんとか、ニョフフェンさんとかいましたねえ。
16歳か17歳の頃の長谷川白紙くんもいましたよ。

で、Hzレコードとか聴き始めてYaporigamiとかの音楽に出会って。
ラスターノートンとか聴き始めて、そこから電子音楽の道に入ったという訳です。42歳とかもうそんな年齢の時でしたよ。

4.そこからどのような行動を開始しましたか?そして始めての音源リリースまでのストーリーを。

とにかく音源を作りまくってました。主婦しながら制作するスタイルでエレクトロニカを作ってましたね。
音楽制作はあまりうまくないけど音楽を作るのが好きみたいな。
ピアノを習っていたのでピアノの曲が多かったです。一番最初にヒットした曲が2013年にセラミックレコーズからリリースした「Firewokes」です。

これをリリースしてからライブを開始しました。
というか、分解系なお茶会でPhasmaさんという方から「ライブしないんですか?」って言われて。
私はWindowsで制作をしていたので、Macじゃないとライブできないものだと思っていたんです。
Windowsでもライブできますよ、って言われてそこからライブ始めました。
始めてのライブがいきなりニョフフェンさんやふんわりちゃん、疋田哲也+Nilとか、めっちゃ緊張しました。。
そのあと赤坂のブレッツで伊東篤宏さん主催のイベント何度か出演させてもらいました。
小林径さんのイベントとかも。小林径さんは布袋さんの先輩で図々しくも当時のBOOWYのお話しも聞かせていただきました。

2014年頃の「EMAF TOKYO」でラスターのフランク・ブレッド・シナイダーにお会いして、日本語で「あなたに会いたくて今日来ました!」って言って、握手とかしてもらって。そこからフランクとはたまにメッセージを送ったりする仲になりました。
ラスター・ノートンでリリースできたらいいなあ。。と思いながら制作をしていた時もあります。
それで出来上がったのがDetroit Undergroundからリリースした「Imagination EP」が海外にて初めてのリリースとなりました。

5.リリース順過去から遡り、ikukoさん的にポイントとなる作品6~8作品ほど、ピックアップしていただきます。それらの作品についてと制作環境について、また、込められた想いをお聞かせいただければ幸いです。

2013年にリリースした「Firewokes」がsoundcloudで結構再生されて。コメントをいただいたりもしました。
この曲はフリーのグリッチVSTを使用して一発録りをしたものなんです。
この頃から楽曲にグリッチを入れることが多くなりました。DAWもSONARを使用していました。

2014年にリリースした「Paradise」は、1月の寒い時期だったのでこたつで制作していました。
まだスピーカーの環境すらなくて、ヘッドフォンで完結した作品になります。
このころからMax/mspを弄り始めたのですが、グリッチとかグラニューラくらいしかパッチを作ることができなかったんです。
なので、自分で作ったグラニューラパッチで生成したノイズにグリッチを何十にもかけてパンを振りまくって、
何を作っているのかわからなくなくなりなりかけましたが、いい感じにアンビエントっぽい感じになてくれました。
この曲は唯一soundcloudで残している古い曲で、その理由が一番最初にLikeを押してくれた方がJemapurさんだったのですよね。
後々色々やり取りをするようになってから聞いた話なのですが「良い意味で狂ってる作品」と言われました。
なので、嬉しくてまだsoundcloudへ残している作品なのです。

翌年の2015年に「Imagination EP」をDETROIT UNDERGROUNDよりリリースしたのはかなり自分の音楽人生に於いて転機となりました。「Emotion」という曲があるのですが、時間軸に沿って周波数帯域の違うものが少しづつずれて再生されたらどうなるんだろう?とか、そんなことを考えていて作った曲です。
この曲がリリースされてから海外からの楽曲制作のオファーが多くなりました。

2017年からは完全にセルフプロデュースを行うようになりました。
作曲はもちろんですが、マスタリングも自分で行うようになりました。
最初にセルフプロデュースでリリースしたのが「忠義」になります。

この曲のリズム感が変わっていて、拍を3/4、4/6拍子を使用しています。
「isamu - 勇 」という曲は最初聴くと4/4なのですが、すぐに3/4になります。
三連符を多く使用しているので、感覚的には3/4拍子に聴こえますが全体的には4/6拍子なんです。
「makoto - .誠 」もイントロは完全に3/4ですが、そのあとは4/4になります。
4/4で作っておきながら中身は三連符でグルーブを組んでいるので実際は4/6拍子です。
どちらもハイハットの刻みがないので感覚がおかしくなりそうですが、その感覚のズレを楽しむために制作したというのがあります。

その後、2018年に「Deep」をリリースしました。
このあたりから、完全に自分の苦手な要素は捨てようと考え始めました。
スネアの周波数が苦手なのでスネアを抜いて、ハイハットで拍を取る感じです。
「PM」という曲に関してはもう殆どキックのみの要素しかないです。
ハイハットが無ければ拍が取れないと言われましたが、究極を求めていったらこうなったという感じです。
「Deep」は自分がアンダーグラウンドな場所で音が作れればいいと感じていたので、好き放題に作ってます。
どれも好き放題には作っていますが、マニアックな人だけにウケればいいや、みたいなそんな作品でもあります。

「Style」はbjörkの「vulnicura remix project - part three」
を聴いて、全部にフランジャーを使用したものが面白いと感じて制作しまものになります。
マスターにディレイが入っているので、これもまたグルーブ感が面白く出ています。
Mist Spectraという南米のアーティストからボイスサンプルをもらったのでそれを入れて制作した「Among Them (feat Mist Spectra)」という曲をEditions MegoのChraが気に入ってくれて、ラジオで流して頂きました。
Chraとは一緒にライブをしたときからの交流があり、コラボレーション作品もリリースしていたりします。


「Hunderstairs」


「Style」

6.現在の状況とこれからの展望についてお聞かせください。

私は飽きっぽくて、リリースする前から自分の曲に飽きてしまうタイプで、制作しながら次の作品のイメージを考えてしまうこともよくあります。それはなぜか?というと、制作している段階で満足することがまず無いからなんです。
制作完了時は「よっしゃ!」ってなるのですが、マスタリングの段階で「なんかちがうな」って毎回そうなってしまいます。
「じゃあ、リリースしなきゃいいのでは?」と思われますが、インプットしたものをアウトする工程は私にとって勉強でもあり、成長過程のひとつでもあるのです。必ずインしたものはアウトしてあげないと先に進めないんですよ。
だから、未熟でも満足できてなくてもリリースをする。これは自分にとって大切な工程だと考えております。

そもそも普段から電子音楽を作ろうとは全く考えていなくて、電子音楽じゃない電子音楽を作るという認識で自分の楽曲を制作しています。クラシックを作ろうと思えばすぐクラシックは作れるけど、電子音楽って色んなものがあっていいじゃないと考えているので、カテゴライズされた電子音楽(ジャンルに括られたもの)を制作しようという概念を持っていません。
もっと自由に音楽が作れたら楽しいな、くらいにしか考えていません。

なので、今まで制作したものはすべてが駄作だと感じております。
それは常にその先に行きたいからです。過去のものは練習みたいな感じで思ってます。
今現在も練習です。だって時間は必ず進んでいるから笑。今も過去になってしまいますよね。
なので、展望はあまり考えたことはないんです。細かく「次はこうしたいな」という、かなりアバウドなものはあってもなんか悩んじゃう。
毎回どうしたらいいんだろう?と悩みながら制作しているのも現況です。
自由に作れたら楽しいなと思いつつ悩んでます。かなり矛盾していますが…。

だから作り続けるのかもしれません。先が見たいし先が知りたい。でも多分死ぬまで先は見えないと感じております。
完璧なものができてしまったら音楽はもう作らなくなるなんじゃなかと思ってます。
満足できる音楽が自分の中でできてしまったら、その時はあっさりと音楽を辞めるでしょうね笑。

インタビュワー:a0n0
https://tokinogake.bandcamp.com/


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