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「ね、手繋ごうか」
いつもと変わる事がない喜美の声。
特別な感情は伺えない。
少し驚いて僕が後ろを振りむくと
「別に変な事考えて無いって」
そういって喜美は笑った。
少し迷ってから黙ったまま後ろに手を出すと、まるで当然のように喜美の手が繋がってくる。

少しだけセンチメンタルになっているのかもしれない。
僕も。喜美もだ。
どちらにせよ駅までは二十分も歩けば付いてしまう。
僕たちを足止めした雨はどこか遠くにいってしまい、もう見つける事はかなわない、街路樹の葉っぱに付いた水滴がキラキラと太陽の光を反射している。見上げると雲の隙間からどんどん広がっていく青い空が見えた。


「虹がみたいな」
アスファルトに反射する砕け散った青空の破片を見つめながら喜美はつぶやく。

僕たちが会う時はいつも雨が降っていた。
喜美は僕の事を雨男だと言ったけど、僕は喜美が雨女だと思っていた。下らない口論。そのままじゃれあって、傘の中誰にも見つからないように隠れてした秘密のキス。
雨上がりの空に七色の虹が淡く輝いていた。


「もう一回二人で虹がみたいね」

うつむきながら喜美がつぶやく、地面を見つめ続けても虹はみえやしないだろう。
だけど僕は、あぁ。そうだねとただ喜美の言葉にうなずく。

繋いだ喜美の手から僕の手に何かが伝わって来て、それは僕の腕をとおり胸に到達し、静かに鼓動する心臓に突き刺さり僕を悲しくさせようとする。


どこか遠く聞こえる喜美の声。うつむいたまま繋いだ手の感触を確かめる。喜美は確かに僕のとなりを歩いているはずだ。


今はまだ。


「ね。一個お願いしていい?」

「何?」
ゆっくりと僕は尋ねる。


「私のこと忘れないでね」


「忘れないよ」

「虹を見たら私のことを思い出して」
すぐ消えてしまいそうな蜃気楼のような声で彼女は僕にそう言った


「あなたたが誰か好きな人を見つけて、その人と結婚して幸せな家庭をきずいて、後悔なんか一個もなかったとしても、虹を見たら私のことを思い出してね。普段は私のことなんか忘れててくれて構わないから、虹を見た時だけ私のことを思い出して悲しくなってね」


僕は何も答えることができずただ俯いて歩き続ける

「約束ね」


喜美の声にこもる強い想いに抗えず僕はうなずく。
きっと僕は虹を見る度喜美の事を思い出してしまうんだろう。まるで呪いのように。
だけど今はその呪いが救いであるかのようにも想える。
僕にも。喜美にもだ

「私もそうする。虹を見た時だけあなたを思い出すよ」
そういってから喜美は顔をあげて僕に笑いかけて見せた


繋がれていた手がぷつりと音をたてて離れ離れになる。よく知る喜美の手が僕の手からはなれ、僕の目の前でヒラヒラと揺れている

「元気でね」

駅に着くと喜美は僕に手を振ると、あっけないほど簡単に僕からはなれていって、人込みに紛れ、やがて消えて見えなくなってしまう。


僕は悲しくなって喜美の事を思い出そうと空を見上げるけど、ビルに切り取られた小さな空には、どんなに探しても虹を見つける事ができなかった。

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