久しぶりのマメ
2日に1回くらいギターの練習をしていると、とうとう左手にマメができた。
自分の体にマメをつくるのなんて小学生ぶりだ。
運動音痴で運動嫌いだった私がつくった、最初で最後の鉄棒マメ。
近所の神社で練習した逆上がりを思い出す。
器用な子どもにとってはなんでもない逆上がりが、私にはできなかった。
できないことを6年間、毎年毎年体育の授業で取り上げられ、みんなの前で披露させられる。
営業職を経験してから思い返すと、まるで失敗が目に見えている無謀な商談を職場全員の前でさせられてるみたいだな。
鬼かな。
失敗が目に見えているなら、事前に準備するなり、上司に相談するなりすればいい。
その通りだ。
逆上がりができないなら、事前に練習するなり、先生にコツを聞くなりすればよかった。
今も昔も、自分のことになるとそこに気づくのって案外難しい。
小学生の私には、運動において悔しさや上達したいという気持ちなんて微塵もなかった。とにかく嫌だという感情だけ。
だからできるようになろうともしなかったんだな。
小学6年生の秋、そんな私に突然こんな思いがよぎった。
「逆上がりができないまま中学生になっていいのか?」
なぜこんな風に考えていたのか、全く覚えていない。逆上がりができない中学生がいたっていい、今ならそう思う。まわりのみんなが逆上がりできることに気づいて、一種の悔しさみたいなものが生まれたのかな。
すぐさま親に逆上がりベルトを買ってもらい、近所の神社で毎日練習した。
自然に思い出したけれど、逆上がりベルトなんていまどきあるのかな。
あった。
親にアドバイスをもらいながら、鉄棒くるりんベルトに助けてもらいながら約1か月後、生まれてはじめて逆上がりができた。
動画を撮ってもらい、文字通り泣いて喜んだシーンは今でも鮮明に思い出せる。
* * *
マメひとつですっかり忘れていた昔のことをふと思い出してしまった。
心の中に眠っている記憶を呼び起こすスイッチがどこにあるのかなんて、分からないものだな。
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