ジェンダーからみるスウェーデン社会【続編】


またジェンダーの話か、って感じですが、考えが少しアップデートされたので忘れないうちに書いておこうと思って。


ちょっと寄り道しますが、留学に来る前に、親しいいろんな人にLINEを「私の強みと弱みを教えてください」っていうLINEを送りつけ、ありがたくも答えてもらいました。

これはほかの人がやっていたからまねしただけなんだけど、そのとき弱みの一つとして、

それっぽさ
・かなり「それっぽいこと」が言えちゃうところ
・見切り×思い込み
…自分が思い込むことで早とちりして、見切りをつける判断をすることがあるかも。何かのポジションとか周囲の環境とかに囚われるとあんまたわらしくなくなる時があるのかも。感覚。
・「わからないこと」を、自分の中で「わかってること」にしてるのかな?と思っちゃう時がある。
・不変じゃないものにも不変だと捉えている

というものをもらいました。あくまで他者評価ですが、何かを発見したら、もうそれ!って決めつけて、それっぽい表現で捉えておしまいにしちゃうそうです。


一方強みの一つとしては、

吸収力/アップデート力
・常に自分をアップデートして高みを目指そうとしている。
・新しいことにすぐ挑戦し、そこでの経験から多くを吸収できる。自己のアップデートがめちゃくちゃ早いんじゃないかなと思う。
・学ぶ意欲と吸収力がすごい
・人から機会からぐんぐん吸収する
・何かから学びとる姿勢

というのをもらいました。つまり、人や機会から何かを学び取る様子を評価してもらいました。


これらの強みと弱みは矛盾しているようですが、なるべく弱みを強みに変えるべく、自分の考えがぐんぐん変わっていくところを記録していけたらと思っています。


本題に戻ります。

結論から言うと、ジェンダーというトピックについては、社会がどうあるべきとか考えすぎずに、まずは自分のしたいように生きていいのかな、と思いました。


先日のジェンダーについての投稿には、身近な人からジェンダーを専門に勉強している人にまで、いろんな反応をもらいました。


その中でお話ししたある先輩には、スウェーデンの社会をジェンダーの観点から理想だとするのには違和感がある、という部分に共感してもらうことができました。


その方いわく、スウェーデンでは、確かに女性の社会進出は進んでいるし、制度上の男女平等は達成されています。

ただ、スウェーデン人にも「男らしさ」や「女らしさ」はあるし、むしろそれらのが日本よりも強く表出されているのではないかということでした。


例えば、スウェーデン人男性はジムに行って体を鍛えたりするし、スウェーデン女性はセクシーな服を着たりします。
スウェーデンでは、経済的にあまり格差がないからこそ、そういった部分で戦うというか、人と人を比較するようになっているのではないかということです。


そうなると、セクシーではない女性や男らしさがないとされる男性が、恋愛市場や社会一般から相対的に価値が低いとされる、という状況は、スウェーデンでも起こることになります。

当然ながら、そのように価値が低いとされた人は生きづらさをおぼえることになります。


こちらの問題は、経済的な格差とか、女性と男性の間の社会進出における格差とかと違って、制度を変えたり補助金をあげたりするだけではどうにもなりそうにありません。

だから、スウェーデン社会におけるジェンダーの状況も、本当にそれを完全にいいものとして捉えていいのか、と再度思ったということです。



また、私は以前の記事で、「日本の女性らしさ」は美しい、と言いました。
しかし、仮にそれが日本全体の共通規範になったとして、その「日本の女性らしさ」に当てはまらなかった人が生きづらくなるという事実にもまた、目を向けるべきだったなと思いました。


こう書くとなんでそんなことにも気づかなかったんだ、という感じに思えるのですが、これを一般的にするとどうでしょう。


「こうあるべき」といったものを想定すると、必ずそれに従うことのできない人、つまり「こうあるべきでない人」も出てきて、その人は規範が想定されることによって生きづらくなることになる。


社会をこう変えたい!といったとして、その理想の社会が誰もの理想と一致することはなくて。
例えば男女の社会進出が平等であるべきだ、という絶対批判できなさそうな論にしても、なぜ?と聞かれたら完璧な答えなんてないと思います。


だから私個人の「こうあるべき」を人に押し付けてはいけないなと思いました。
私が「こうありたい」と思うなら、私はそうすればいい。


ただこれでは社会に無責任だからこそ、ほかの人が「どうありたいのか」に、やっぱり耳を傾けたいと思いました。