趣味がなかったという気づき

日本にいると、なんだか予定がたくさんで、気づけば余白のないスケジュール帳の示す通りに行動するだけで一日が終わってしまっていました。

時間の使い方を考えるときはゼロベースではなくて、あれとあれとあれをどの時間にやるか、つまり時間をやりくりするための思考をすることが多かったです。


でもここスウェーデンでは違います。

授業は最大一日に1コマしかないし、全休もたくさん。

授業以外は全部自分の時間です。

日本にいる多忙なビジネスマンとかが聞いたら羨ましく思うかもしれないけど、私にはこれが新しく、時に大変なことです。


だって宿題はあるから、自分の時間の中で宿題をやる時間を捻出しないといけない。
つまり勉強は自分の時間を使いながら、自分のためにしている感覚です。


こっちでいうサークル的な活動もそう。
別に毎回行かなくてもいいから、自分が行きたいと思ったら、顔を出す。
だから自分がやりたいことは何か、を真に問われている気分です。


ただ予定通りに行動していればなんとなく生きられてしまった日本での生活とは違って、今日をどういう風に使うか、考える必要があります。


そして、そう聞かれると、そこまでしてやりたいことって別にないんだよね。


私にはこれといった趣味もなかったんだな、と気づかされました、特に大学に入ってから。
日本にいるときに「趣味は?」と聞かれたら、「音楽を聴くこと」「インスタ」などと答えていたんじゃないでしょうか。
これらを趣味と呼べるかはわからないけど、隙間時間にできることでしかないですね。


一方同年代のスウェーデン人を見てみると、ジムに行ったり、手の込んだ料理を作ったり、全然給料の出ないパプで働いたり(なんと5時間働いて800円しかもらえません、0は二つです。ほぼボランティア)、刺繍したり。


私は一人で時間を使うとき、なんのために、をすごく考えてしまいます。


料理にしても、自分で食べるためだけに、いくつも素材を買って何時間もかけてまで美味しいものを作ろうとは思わない。

旅行にしても、片道何時間もかけてお金を使って計画を練ってまで、ひとり旅で行くほど行きたいところはない。(これはちょっとだけ例外があるけど…)

読書にしても、確かに読みたい本はあって、それを買ったとしても、友達に誘われたら出かけてしまう、読書はいつも優先事項ではなくて、そうすると気づけば積ん読になっている。


これまで、本当に自分のために、「自分の好き」に直球ストレートでささるように、時間を使ってきたことってあまりなかったのかもしれない、と思いました。

何か余暇を楽しむときは、誰かと時間を過ごしていること自体を楽しんでいたのであって、「それをする」こと自体を楽しんでいる瞬間ってあったのかな。



どうかこてこての現代人たわに、心の動くような趣味が見つかるよう願っていてください。