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話すことと聞くことについて、思うこと

話すという行為について、
私は自分が面白いと思うことについての話をするのが得意ではなく、どこをどう切り取っていかに伝えたらいいかに自信がないことが多い。

一方で他人に楽しく喋ってもらうべく聞くことは結構得意。だから大学時代から特に話すのがうまい人と話すときは、自分の話をする余地がなかった。

話すのがうまい人に言わせれば、
じゃあ自分の話をすればいいじゃない、聞くよ?となるかもしれない。

でも、普段から聞くことに徹している側としては、聞くというのはそんなに単純な作業じゃない。

話すのが上手い人の中には、パフォーマンス力や話のコンテンツ性など、あたかもそれが自分自身のスキルのみによって成り立っていると錯覚している人もいるのではないか。

だけど、とりわけ一対一の対話であれば、聞く側の質問や反応を通じて、話す側の意見が形成されることもあるだろうし、話す側が気持ちよく喋れるのは、聞く側の誘導が成功しているからという場合もあると思う。

少なくとも私はそれをかなり意図的にやっている。

だからいざあなたの意見をどうぞ、と言われても、対話における役割を丸投げされているような気持ちにもなる。

とはいえ多分、話す側としても、話す前にこれをメッセージとして伝えようと決めるとか、相手の反応を見ながらトピックの構成を変えるとか、声のトーンを調整するとか、相手へカスタマイズした発信を心がけている部分があるのだと思う。

私もそういう、話す側としての相手へのチューニング方法を知りたい。

でも私自身の現状の話すことへの自信のなさを考えると、少しは聞く側にも歩み寄ってもらう必要があるか、もしくは自分が話すということについての心理的安全性を確保するために取り組む必要がありそう。

余談だけど、私の知り合いの中で話すのがうまい人の圧倒的多数は男子。男性は自分の知識をもとに面白い話をして、女性が聞く、というジェンダーロールの影響もあるのかもしれない。

たしかに高校までは自分が面白い話をできないことに全く問題を感じなかった。でもうまく話せるようになりたい。

もちろん女子でも話すのが上手な子はいた。私が言いたいのは、生まれ持った能力差はあれど、それを求められる環境にいて、慣れてるかどうかも、現状のアウトプットの差の一要因になりうるのではないかということ。

これから意識して機会を作って練習していけば、少しはうまくなれるって信じたいから…