スウェーデンって本当に「良い」の?

スウェーデン社会について抱いていたなんとなくの違和感がこの前言語化できたので、書き留めておこうと思います。


福祉国家についてとか、スウェーデンの制度についてとか、しっかり学んだことがないという前提で書きます。

結論からいうと、スウェーデンでは
「この生き方が良いです!」「この規範が正しいです!」というものを押し付けられている気持ちになることがある、ということです。


制度についてそう感じるというよりは、スウェーデンに住んでいる人たちから感じることが多いです。


例えばある友人が、

スウェーデンでは電車が定刻通りに出発しないことが当たり前のように受け入れられるとか、不便なこともある。でも、いつでも便利な社会より、子供が熱を出したら気兼ねなく会社を休めるスウェーデン社会の方が私はいい

と言っているのを見ました。
確かにそう言われるとそんな気がします。


でもちょっと考えてみると、日本大好きな私にとっては、みんなが個人的な事情より社会の方を優先させて働き、大多数の人にとって便利なように回っている日本社会は素晴らしいと思える時があります。



もう一つ、スウェーデンで推し進められているスローライフについての例を挙げてみます。

朝起きて、授業に行って、fikaをして、スポーツをして、課題をして、友達と夜ご飯を作って、映画を見て、寝る。


こんなゆったりした生活をいいなあと羨む日本の友達や、やっぱり自分の時間が圧倒的に多いこっちの暮らしが日本よりいい、という留学仲間もたくさんいます。


でも私は、朝から晩まで元々予定が詰まっていて、それをちょっとずつこなしていって、達成感にあふれたままベッドに入った瞬間疲れて寝る、っていう日本の生活も、好きだった。今でも恋しくなる時があります。


この二つの例を通して何が言いたかったかというと、

スウェーデンでは当たり前のように「これが良い」とされている社会のあり方やライフスタイルがあるということです。


それは社会の制度だったり、スローライフという文化だったりにあらわれています。

でもその「良い」とされているあり方が、絶対に誰にとってもベストであるとは限らないということに気づきました。


日本にいる友人も、こう言っていました。

スウェーデンって個人も国も相対化する社会に生きてない気がする。
個人でいえば、ベストを尽くすことが大事で、その結果が人と比べてなんであってもまあオッケーみたいな。
国で言えば、全ての人に平等な権利、機会を提供することにベストを尽くすのが大事で、その結果国際社会でどんなでも(とはいえラインはあるだろうけど)まあオッケーみたいな。


ベストを尽くそうと思っているもの、つまり自分が「良い」と思っているものがなぜ「良い」のか、それを説明してみようとすることはいくらでもできると思います。



でも、いろんな人がいる以上、完全に誰にとっても「良い」答えは存在しえない。

スウェーデンではこの感覚がちょっと薄いのかな、と思いました。