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離婚後の共同親権について

ひょんなことから、国会で親が離婚した後の子供の共同親権に関する法案の審議を、議事堂で見る機会があった。

背景知識がなかったし、興味あったしで、事前に法務省の検討部会の資料を読んだり、ネット検索したりして、少し勉強した。

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法務省部会の議事録は、こちらから読めます。

部会のこの議事録は、4時間にもわたる長丁場。記録された方、大変おつかれさまです。

議事録には、両親が早くに離婚しちゃって片親に育てられた人とか、逆に子供を夫に連れ去られてしまった人とか、ひとり親や、孤児を支援してる人とか、いろんな経験談や声があった。

まず、賛否両論ある法改正について、いよいよそれが行われそうなところまできたことが歴史的だと思った。とはいえ、現状維持も、何も選択していないように見えて選択をしているので、検討が進んでいるという事実に敬意を示したい。

家族の問題というのは家族の数だけあり、子供の数だけ対処法も異なるのだろうと思った。

それから、いくら世の中で個人主義が進むとしても、人にとって、心の拠り所となるような他者とか居場所があることは、欠かせないのではないかと思った。

それが必ずしも家族というものである必要はないと思う。この社会では、家族という共同体がことさらに強調されすぎていると思う。同じ枠組を用いて、ひとつひとつ違う共同体のことを語るのは無理がある。父性とか母性とかいう言葉も大嫌い。

でも、人が生まれて一番初めに出会う他者は、おそらく父親であり母親であり兄弟であり、そういう身近な存在とどのような関係が築かれたかというのは、その後の人生において良くも悪くも強いインパクトをもたらすのかなと思った。

だから自分が今後子供を産むとしたら、その子と、パートナーとは、心理的安全性が保てる関係性を築けるようにしたいなって思った。

昔は、「子供を産むなら、自分のもとに生まれてきてくれてよかったって思ってもらえるように頑張りたい」と思っていた。でも最近、そこまでいくとエゴになってしまうのかなって思うようになった。親の存在に感謝しなきゃという気持ちを、子供に内在化させてしまう気がする。できるだけ親の機嫌とか顔色に影響されすぎず、生きてほしい。

だからいまのところは、最低限、心理的安全性が保たれた関係性を築けるようにがんばりたい。と思うようになった。
これだけでもきっとめっちゃ難しいことだわ。