ピアノの先生と昔の思い出と今やりたいこと
ピアノの先生は地域活動を通じて知り合った元民生委員さんです。
そもそも東日本大震災で被災して、避難者としてここに引っ越してきたときに「要支援」な家庭として赤い羽根募金の支援金を届けに訪問してくれたのも、この方でした。
募金ってするものだとばっかり思っていた私にとって、かなり衝撃的でショックな出来事だったのですが、それはまた別に書くとして、この先生は私を「妊娠中に被災して、自宅全流失、小さい子連れで避難してきた深刻な状況にいる心配な人」として知ったんだと思うと不思議です。
小学校、中学校と合唱の伴奏をすることが多くて、それがあまりいい思い出ではありませんでした。
伴奏したい子というのは結構いて、そのポジション争いみたいなものが当時の私にはしんどかった。
私は歌いたかったし、私より伴奏したい人はたくさんいたのに、それが叶わなかったことで、しなくていい嫌な思いをたくさんした気がしています。
私は3才半でピアノを始めていて、性格上さぼらず練習もしてたので、先生が私を指名した理由も今ならわかります。
でも嫌だったし、「今なに弾いてるの?」という質問が大嫌いでした。
レッスンの進度を聞かれるのが嫌だっただけで、純粋にピアノの話ができる友達が欲しかったなと思い始めたのは、プレーパークにピアノを持ち込んだ時です。
一生懸命ピアノを習ってる子達とピアノの話ができるようになりたいと、最初に先生にお願いしました。
「好きな曲を弾くのが大人のピアノの楽しみよ」と言われて、ブルグミュラーを選んだのもプレーパークに来るピアノを習ってる子達と同じ課題をやりたかったから。
被災者として私をしって、でも被災者らしくなく地域で活動してきた私を、それでも民生委員として要支援な人として見てきてくれた、この先生になら言ってもいいかなって思えたし、実際言ってよかったです。
小さい頃のわだかまりが溶けた気がしたし、私は母の手前でピアノが辞められなかったんじゃなくて、ピアノが好きだったんだなとわかったから。
好きなことを好きと、なんの気兼ねもなく言える人がいるって嬉しいことです。
先輩プレイワーカーがよく言っている「俺もこれ好きなんだよ」は人の気持ちをあたたかくする魔法の言葉だなと思っています。
好きなことを俺も好きって言われたら嬉しいよね。
小さい肯定をいっぱい積み重ねていきたいと思っています。